September 02, 2019

チック・コリア・エレクトリック・バンド (9/1, NHKホール。東京JAZZ)

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1986年のデビュー以来。多分自分の人生の中で最も影響を与えたのはチック・コリア・エレクトリック・バンド。中学で初めて聴いた時、こんな凄いことができる人たちがいるんだと心から引きずりこまれたのである。その後何度かチックのコンサートに行く機会もあったし、何ならコンサートの楽屋に赴いたり、同じ飛行機に乗り合わせて言葉を交わしたりしたことすらある。でもエレクトリックバンドだけは生で聴いたことがなかった。今回の東京JAZZのトリ。これはもう聴いてみたい。そしてなんと中学時代の同級生、NくんとKさんもこれに乗ってくれるという。折しも研究会があった日、NHKホールまで赴く。ホールに入る前には、ストリートのライブを聴きにきていた次兄とバッタリ。来てるのは知ってたけど、そして今週あったばかりだけど。

夜のセットは前半Snarky Puppyという最近人気らしいファンクユニット。初めて聴いたけどカッコいい。綿密に組み上げられたリズムセクションの上に、ソウルフルだったりコンテンポラリーだったりするメロディライン。バッチリ決まったアンサンブルはこれまであまり聴いたことのないタイプ。いや、個人的にはものすごく「買い」。やっぱり新しいサウンドにふれないと歳とっちゃう。

そしてエレクトリック・バンド。マリエンサルもギャンバレもいる中期以降のメンバー。はじめにBeneath Maskから“Chaeged Particles”。イントロからああこれなんだと。メインテーマからアップテンポになり、ウェックルのタイトなドラムがスコンスコンと。これだけでも来て良かったと思う。その後“Trance Dance”、“CTA”と続く。5人がソロをとっていけるのはやはりこの辺。マイルスのCTAはやっぱりやりやすいよね。次はギャンバレがアコースティックギターに持ち替えて“Alan Corday”。Kさん曰く「もうエレクトリックじゃない」w。ギリギリパティトゥッチはエレベだから。
個人的には1枚目から何か聴きたいところ。最後にさしかかってチックが休暇で日本を旅した話。あ、ひょっとしてJapanese Waltzかと思ったが、“Silver Temple”でした。これはカッコいい。これは最初の部分もカッコいいが、途中でアップテンポに切り替わってからがスゴイ。何せ何千回と聴いているので、もうバッチリ入ってくる。もともとなかったマリエンサルのソロ部分は悪いけどウェックルとパティトゥッチの超絶技巧を聴くために集中させてほしい。ウェックルだってもう良い歳なのに、1986年以上にキレッキレのプレイである。いや、これを聴けてよかった。

アンコールもバッチリ応えてくれる。というか、ちゃんとKX-5がでてくる。だとすればあれかあれかのどっちか。そしてここのところお馴染みの観客とのフレーズ・アフタミー。この時点のコード進行でまああっちの方とわかる。最後は“Got a Match”。パティトゥッチの音も、ウェックルの次にどこを叩くかわからなくなるドラムも、そして相変わらず弦跳びの早いギターも。そして以前より音がペラペラしてないマリエンサルのサックスも。もう言うことはない。そしてチック。70を超えてから、それまで以上にフレーズが迸り出る感じで、今回はもう止まらないって感じ。歩いたり、MCをしていたりすると「お爺ちゃん!!w」と突っ込みたくなるが、プレイは今が一番カッコいいかもしれない。

そんなわけで、もう何も言うことはありません。存分に楽しみました。もういつ死んでもいいよ、チックが(6年ぶり2度目)。でもとっても元気そうで、もう一度くらい聴きにいけるかなと思う。3人で感想方々飲みながら、いい時代になったねえと。また聴きに行きましょうね。

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February 05, 2018

汝の雪(敵)を愛せよ

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 暖冬傾向もあって今年のような雪の多い年もそうそう多くはないが、北陸はやはり「雪国」である。音もなく夜の間に深々と降り、膝まで雪に埋まるなんてことも時にはあったりする。車を雪から掘り出し、家の前の道を除雪するのに1時間以上ということもある。長年住む近所の人と、「またたくさん降ったねえ〜」「ほんとイヤ〜になるぞいね」など、雪にはうんざりという会話があちこちでされる。まとまった雪がひと冬に数度もあれば、市や県の除雪費用もかさみ、財政を圧迫する。真っ白に覆い尽くされる景色の美しさとか、スキーやスノーボードなどウィンタースポーツの面白さもあるが、雪国にとっても雪は「そこにある重荷」である。
 金沢に住んで16年になり、そろそろ故郷よりも長い暮らしになる。多分まだまだ地元の人より不慣れなかもしれないし、向かい合い方も足りないかもしれないが、すっかり身近なものにはなった。そして、いつまでたっても「嫌だ」という気持ちにはなれない。雪かきで身体を酷使されても、渋滞に難儀しても、雪はまさに北陸の象徴であり、北陸の欠かせない色彩であり、思考や発想の原点だ。
 おそらく、関東から金沢に移り住む時、私は雪と契約を交わしたのかもしれない。ようやく職を得て赴任した時、いかに雪深かろうと文句は言わないと決めた。何よりこの職なくして先はなかったし、流れ着くこの地の風土を嫌って、他に生きる道はなかった。幸い関東時代に始めたスキーと、南国出身の物珍しさがこの16年を支えた。引き継ぎの日も結構な雪だった、それから人生の節目となる何度かの出来事も、やはり深い雪の日だった。だから不便であっても、やはり憎めないのが雪である。

 紫の ひともとゆえに 武蔵野の 草を見ながら あわれとぞみる(古今和歌集)

 あんな草深い東国になぜいるのか?それは紫の草がただ一本美しいというその理由なのだというのが、古の人の視点。さしずめ北陸なら紫のひともとは真白なる雪である。あと2月もすると金沢にも少し遅れて春が来る。至る所で桜が咲き、金沢の背後に控える山を借景に雪のように花びらが降りしきる。あの鮮やかさがまた見たくて冬を越していく。また今日も、降り積もる雪を見ながら、容赦なくのしかかる雪を幾度となく除雪しなから、「あわれとぞ見る」のである。

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December 27, 2017

美味!石川の新しいコメ「ひゃくまん穀(ごく)」

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石川県では今年新しい品種の米がリリースされた。名前は「ひゃくまん穀(ごく)」。いかにも石川のネーミング。日本中で新しいコメが数々発売され、大した評判にもならず消えるもの多数。とはいえこのコメ、粒は大きく冷めても美味しい、粘りや甘みもあるというふれこみ。ならばと買ってみた。
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 ちょっと堅めに炊いて食べてみたらなかなかの驚き。たしかに粒が大きい、口に入れただけでわかる。そして噛みごたえがあり、香りも強い。広告通り、冷めても香りや甘みがわかって美味しい。むしろ冷めてからが本領発揮なのかと思えるくらい(炊きたても美味しいけど)。おにぎりなんかだと噛みごたえとともに食べている実感がある。塩昆布やゆかりのような御飯の友にもよく合うし、卵かけご飯にすれば卵で分離した一粒一粒がタピオカのように歯に当たる。自分の好みといえばその通りだし、けなす理由がないのである。
 そこで今年はこれと買い求めてきたのだが、どうやら相当人気のようで、今年の分はほぼ売り切れ。スーパーで残っていた最後の2kg袋を3袋買い占めてくる。個人的には今後コシヒカリやあきたこまちとならぶ人気になるのではなかろうかと秘かに思っている。きらら397以来の「食べ応えのあるコメ」でもある。ぜひ来年は作付けを増やして、売り切れることのないようにしてほしい。
 ネットを調べると、人気の割にはまだ大人しい。だから先駆けて絶賛。これは本当に美味しいお米である。

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December 23, 2016

NHK交響楽団 ベートーヴェン交響曲第9番

 2016年12月23日 NHKホール 指揮 ヘルベルト・ブロムシュテット

 師走も下旬の23日。一昨日も出張で来た東京だが、プライベートで来るのは何年ぶりだろう。年末のベタ行事、第九を聴きにNHKホールまで。普通ならそんなことまずしないが、N響創立90周年記念。タクトは御歳89歳のブロムシュテット。こんな機会もうないかもしれない。本当に珍しくチケットをとり、貯まったマイルで飛行機のチケットをとり、金沢から東京までやって来た。
 思い起こせばサンフランシスコ交響楽団時代には端正な姿と解釈。数十年にわたって日本でも馴染みのマエストロ。微かに姿勢は前傾気味になったとはいえ、シャキッと立っている姿は素晴らしい。

 さて第九。N響といえばちょっとくすんだ弦が魅力だが、それはまあ変わらず。今日は金管の乱れが多かったように思うが、それもまあどうってことはない。第一バイオリンの後ろにチェロとコントラバスが配置される対向配置。合唱も女声が前、男声が後ろに。こちらは右側2階席で、低音とピッコロがよく通った。
 ブロムシュテットは楽譜どおりのテンポを堅持するという。実際よく聴くものよりキビキビと速い。折り目正しい鳴らし方とはこういう感じかと思うくらい。タテにズバッ、サクッと歯切れが良い。もっと深く弧を描いてズンと響かせるような感じではない。端正というよりキビキビ。第九は8分の6拍子の部分が多く、ラタタラタタという躍動感に注意することをしばしば言われる。しかしブロムシュテットは全てが4拍子であるかのようなタテのとり方。それがとても印象深い。
 声楽はソプラノからシモーナ・シャトゥロヴァ、エリザベート・クールマン、ホエル・プリエト、パク・ジョンミン。特にバスのパクは豊かな声で美しかった。4人の合唱の時に声のバランスが崩れがちなところはあったが、それぞれ美しく聴かせる。東京オペラシンガーズの合唱も安定してさすが。クレッシェンドやダイナミクスのメリハリを利かせた感じではなく、ストレートに歌わせた指示はブロムシュテットの考えによるものだろうか?
 全体に快調なテンポの第九だが、だからこそ最後の部分で急速なアッチェルをかけるような演出もなし。実直に最後まで通して終わった。
 遠くて表情まで伺えるというほどでもなかったのだが、最後に楽しそうに台から降りたブロムシュテットは本当に良い顔に見えた。そして多くのファンが惜しみない拍手を送る中、優しく何度も応えるのを見ると、何より来てよかった。

 来年はライプチヒ・ゲヴァントハウスを率いて来日するという。来年は卒寿。もう本当に彼の健康を願ってやまない。

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September 30, 2016

荷方の教育実践知識

 20代の時,とある塾の教務主任なんてものをやっている時。毎月のカリキュラムに連載していたちょっとした書き物。今見ると恥ずかしいようなものもあるが,歴史として残しておくことにしよう。
 それでも「まだ院生なのに結構ちゃんと書いてあるよ」と紹介いただいたこともあったなあ。励みになった。
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「内発的動機付けと外発的動機付け(3月号)」 

 教師や両親、友達などの社会的存在からほめられたり、叱られたりすることによって、学習意欲は増減します。また、自分で問題が解けるようになったり、達成感を感じたりしても学習意欲は増減します。このようなタイプの方法で学習意欲を操作するアプローチを動機付けといい。前者を外発的動機付け、後者を内発的動機付けと言います。
 前者は即効性がありますが、慣れてしまいやすいので効果がすぐに薄れます。後者は獲得が難しいですが、永続性と強力な有能感を与える長所があります。

 「ほめ方の上手な先生」、「叱り方の上手な先生」になることももちろん大切なファクターですが、やはり生徒がついてくるのは「問題の解ける楽しさ」「学習活動そのものの楽しさ」を伝えられる先生です。そう思いませんか。
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「メタ知識と先行オーガナイザー(4月号)」 

  まず、次の文を考えよう。
 「やり方は簡単だ、まず同じものを探し、一つにまとめておく。今度は右と左で同じものをまとめておくだけで良い。気をつけなければならないのは、右から左へ・左から右へ動かすときは、逆にしておくことを忘れないことだ。」
 この文だけで、「文字式の計算の方法」とすぐ解るならば大したものである。我々の生活は具体的な行動の連続であるが、その一連の行動をまとめて呼ぶためのさらに高レベルの(メタの)知識がある。これがメタ知識である。授業において、これから指導する具体的な内容が、どのような事をするためにあり、他の指導内容とどのような立場にあるかを先に指導することは、生徒にメタ知識を指導することであり。これによって、生徒の理解はスムーズ・確実になると考えられている。
 学習におけるメタ知識の事前提示を、先行オーガナイザーと呼ぶ。ただ単に指導内容をわかりやすく教えるだけでなく、どういう出題のとき使うのか、使えない類題は何かなども、生徒に同時に教えておきたい。
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June 10, 2016

馬齢

「馬齢を重ねる」という言い回しがある。これといって大したこともしないまま歳だけがすぎる。くらいの意味。44歳になって,概ねそんな感じだなと思う。
 もちろん毎日の暮らしを考えれば,もう少し何かをしているのだろう。娘を育て,教師なるものを生業とし,いちおう役回りもやっている気がするのだけれど。「だから何?」みたいな気分がどこかに見え隠れするので,結局は馬齢を重ねているだけのような思いが強くなる。
 中年期の課題は「生産性と停滞の葛藤への対処」と言った心理学者がいたけれど,まさにそういう葛藤の中にいるようないないような。
 うまく行けば今がちょうど人生の正午,下手すると夕暮れすぎ,いや一日の終り寸前かもしれない。本当は馬齢を重ねている場合じゃなくて,奔馬のように頑張らないとだめなのかもね。
 そんなこんなで44歳。思えばよくぞここまで。

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September 19, 2015

それでも明日は来るだろう。風の変わる日も来よう。

安全保障関連法案が可決された。いずれ予想されたことではあるが残念。それもまた民主制。

私はといえば実に哀しい。20歳になってこのかた、選挙には必ず足を運び、多くの場合時の政権政党ではない党に投票してきた。政権政党の政策に反対もし、時に理解もしてきたが、多くは反対の意思表示だと思っていた。とはいえ、昨今の野党の政策を支持していたわけでもない。野党だってヒドイものなのだ。ただ、それならば簡単に問題ある政策が可決されないように「与野党伯仲」をせめて良しとしてカウンターパートにいたとも言える。それも果たせず、自国の安全保障の維持とは必ずしも一致しない集団的自衛権の行使を、かつ不安定な状態でしか運用できない形で許したことは痛恨でもある。
もっと哀しいのは、こういう時になってはじめて声を上げるような社会を容認してきたこと。20代の10年は公民を教える役割も担い、民主政治や日本の憲法、社会制度もきちんと教える努力をしてきたつもりだった。しかし若い人を投票に行くよう促す力としては弱いし、政治的態度を持たせるような知識を(受験に必要な程度以上には)持たせられなかったことも悔やまれる。
「かしこい市民」を育てるのが教育の目的である。学校教育とその教育内容は、いまでもその目標に応えるべき内容になっているとも思う。しかし私の後悔は、つまるところ私に関われる範囲での教育の敗北とすら感じさせる。もっと手間暇をかけて、時間と工夫をかけて教育に携わるべきであった。
その意味で、今日は新しい一歩の始まりでもある。一個の市民として、教育に携わるものとして、これからもやるべきことはある。それは政策の是非を教えるような「間違ったこと」ではない。自ら見識を身につけ、個人として熟慮を伴った判断ができるという人を育てるということだ。すべての人が、「良き市民」として社会と関わることができる日まで。

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September 02, 2015

わが子が目の前に来て36時間。

Blog379

皆さんからたくさんのお祝いや励ましのコメントをいただきました。一人一人へのコメントの代わりに,改めてのご報告をします。

 ずっと大きなお腹の中にいた人が,いま目の前にいる。そうか,君はそういう顔だったんだね。
 9月1日というキリの良い日に,元気な女の子が生まれてきた。波のように押し寄せる陣痛を受け止める細君の横で,ずっと腰を押し続け,6時間半かけてズルズルっと生まれてきた。頭が見えてからものの数分。足まで出てこないうちに元気に産声を上げた彼女は,生まれて時からしっかりした顔をしていた。お母さんのようだったり,お父さんのようだったり。まあ2人の手によるものだとよく分かる。

 生まれたら感動するよとか,ベタベタに溺愛しそうと言われるが,そうなるとしたらやはり時間がかかりそうだ。生まれてきた瞬間は,おーよくがんばったね。こんにちは,元気だね。ようこそ。お母さんもよく頑張りました,どうぞよろしく。何だか新入生に初めて会う先生のようだ。自分のものという感じはなくて,生まれた時からやはり一個の人格として存在すると思う。父というものは,母と子の濃密な関係(ディアーデ)の中に初めて割り込む「他者」だと言われるが,まさにそんな感じがする。聖母子に割り込む男性像のようだ。

 泣き止むのも割と早いし,穏やかな顔をしている。さしあたり気難しそうでもない。こめかみ辺りを触られるのが好きなようだ。なるほど,君はそうなのか。お父さんにずっと抱かれていても嫌そうではない。新生児はそうだとわかっていても,やはり嬉しいものである。
 把握反射あり,口唇探索反射あり。普段教えている授業のまんま。当たり前すぎてホッとする。見るだけで笑えてくるし,笑顔になって仕方がない。なんと無防備な,なんと弱い,そしてなんと強い。まずは無事なようで本当に良かったよ。月並みな幸せではあるけど,その月並みなことが本当に良かった。
 
 細君との検討の結果,名前は美咲子(みさこ)になった。今風の名前はあまりしっくりとこない。女の子が生まれたら最後に子がつくように,男の子が生まれたら「お」がつくように。それが第一の合意。「咲」という字が何かとよろしいという判断になり,これを基本とするのが第二。あとは字画とか語感とか人間関係のああだこうだとか周到に検討。最終候補から絞りこまれた。 
 美しく咲いてほしいという意味も良ければ,優美な語感もよろしい。読み方も間違われないだろうし,自分で漢字を書くようになった時もさほど困らないだろう。そしてあなたの顔にふさわしいと思うよ。あとは自分で名前にそぐわしい人になってほしい。

 金子光晴が孫の誕生に際してつくった「若葉の詩」という一連の詩がある,長いこと好きな作品だが,まさにその通りだ

 小さなあくびと 小さなくさめ 
 それに小さなしゃっくりもする 
 君が 年ごろといわれる頃には 
 も少しいい日本だったらいいが 
 なにしろいまの日本といったら 
 あんぽんたんとくるまばかりだ 
 しょうひちりきで泣きわめいて 
 それから 小さなおならもする 
 森の若葉よ 小さなまごむすめ 
 生れたからはのびずばなるまい (森の若葉 抜粋)

 若葉の詩と同じく,美咲子よ,来年は海へ行こう。いや,お父さんと一緒にどこにでも行こう。お父さんと一緒に動物になり,風になり,本になり,そして人になろう。
 生きる限り,この世界が美しく,知に充ちあふれ,生きる甲斐があることを,一緒に経験しようね。
 
生まれてまだ一日と半分。父として残念なことは一つ。君に顔を近づけると,老眼のせいでかえってディテールを見られないことだよ。20センチの距離から,美咲子,君をずっと見守ることにしよう。


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August 15, 2015

デザインのオリジナリティとは何か?

最近の講義で,デザイン科の先生がデザインを次のように説明した。
 「既にあるものを組み合わせて新しいアイディアを生み出すこと,それがデザイン」。
 この時のアイディアという言葉はかなり広義の意味かと思う。われわれが何かを生み出すというのは,既存のものをベースにしない限り存在しない。そこが一番の核心だと思う。
 「元になる何か」それがなければ何も作れない。素材であれ,モチーフであれ,何もないところには何もないのだ。
 私はといえば,デザインは人間によって世界に与えられた「工夫」だと言っている。われわれにとって善きもの・美しきものにするための工夫がデザインである。
 既存のものの組み合わせで,しかもそれが工夫として成立する。この2つを併せ持つものは,多いとはいえ無限ではないのだろう。当然ながら,みんなにとって良いものは自ずとその範囲が決まる。それぞれが似通ってくることはある程度許容されるべきことなのかと思う。
 許容されない条件は一つ。明らかに他者の作ったものを剽窃(パクって)している。そして作者による工夫(改変)のあとが見られない。
 先人のものをモチーフとして作る。素材として利用する,アイディアとして使うというのは,厳密には剽窃ではない。それを言い出せば,扇風機のような家電や携帯電話の形など,パクリ以上に近接した「見た目と機能」だ。
 デザインはアートではない,時としてアート(芸術)的な要素を強く持つことはあるが,基本は工夫を伴うモノの産出である。ここ数日の「パクったデザイン」の話題を見ていると,議論に参加しているヒトの中には,本来のデザインの捉え方からちょっとズレているのではないかと思うフシがある。オリジナリティというのは,「全く見たことがないものを見せる」ことではなく,「新たな工夫がそこにある」くらいに思っていたほうがいいのかもしれない。
 写真はうちの大学のデザイン工房。車だって,無限にデザインできるものではない。大抵の場合,車輪は4つであり,その世界から簡単に抜けだすことはできない。

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July 01, 2015

プラハ放送交響楽団コンサート 

プラハ放送交響楽団コンサート 指揮オンドレイ・レナルト pf.フジコ・ヘミング 

 モルダウに新世界,それをチェコのオーケストラが演奏するという極めてベタなプログラム。しかもピアノがフジコ・ヘミングでショパンの1番。最初からフジコは「ラ・カンパネラ」をやるよ〜というとっても俗っぽいコンサート。聞くと細君はフジコ・ヘミングは好きなのだという。だったら行きましょう。
 会場は金沢歌劇座。旧金沢市観光会館という,大きな都市にはどこにでもある多目的市民会館。歌劇ができるようにと手は入れてあるが,公演会数は県の音楽堂とは大きく差がある。気軽に聴くとしよう。
 プラハ放送交響楽団と指揮者のレナルトは相性のいい組み合わせのようだ。全体の感想としては,大らかでメリハリのはっきりした演奏。ところどころでミスもあるし,前のめり気味の入りで途中はわりと好きにという感じ。あら探しの好きなファンなら格好の標的だが,楽しそうだしやりたいことがはっきりしていて聴くこちらもリラックスできる。
 モルダウはキビキビしたところはキビキビと,流麗なところは流麗にというポピュラー音楽のような味付け。レナルトは演奏者一人一人の個性は自由に任せているようだ。印象に残ったのはヴィオラの第1奏者。コンサートマスターか?とツッコみたくなるような大きな動き。特にヴィオラはそれに見習うようにみなさん大きな動きである。弦に比べ管は細かなミスがところどころにあるが,それはそれで好きにしている感じ。
 さて,肝心のフジコ・ヘミング。ショパンの1番もどちらかという俗っぽいコンチェルト。彼女はかなり個性的に弾いている。指揮者がピアノにしっかり追随しようとしているのがよく分かる。彼女もまた,オケと合わせようとする動作がはっきり分かった。テンポが揺れるどうこうというより,ひとまとまりの楽節それぞれの間にちょっとした間が入る。晩年のバーンスタインの「悲愴」のようだったりする。
 彼女は,こう弾きたいというだけでなく,自分で聴きたい音があるように感じた。ところどころの音で不用意にさえ思えるほど強調されるところがある。歌劇座の惜しいところというか,オケとピアノのバランスがちょっと悪いというか。アタックの金属音などがそれではっきりと聴こえたりして,もう少し一つ一つの音を聴きたかったなあと思った。アンコールは予告の「ラ・カンパネラ」とメンデルスゾーンの即興曲。こちらはしっかり聴くことができた。これも彼女の「聴きたい音」が強調された感じ。即興曲のアルペジオは割とどうでもいいのね。ラ・カンパネラは,明らかにゆっくり。途中であちこち間を作ってくれる。「ラ・カンパネラは,実はこう弾いています」という図解を見ているようである。超絶技巧を楽しむのもいいが,こういう一つ一つの音を聴くのもまた面白いものではある。
 ドボルザークの9番は東欧のお家芸。それだけでなくどこで聴いても楽しく聴けるありがたい曲。チェコ・フィルやN響は,ちょっとくすんだ感じの弦が印象的なのだが,プラハ放響は明るい輪郭。これもキビキビと元気に演奏する。やはり2楽章などは残心を感じる余韻が欲しかったり個人的にはあるが,それぞれの鳴りは良くて「どう?いいでしょ!」と聞かれているようだった。うん,いいですよ。ポップス・オーケストラのようなメリハリは,このオケの一番の個性のように感じられた。指揮のレナルトも「こうしましょう!」というはっきりした感じがあって,なるほどこういうのが好きなんですねと納得。
 アンコールはスラブ舞曲の15番。指揮者がニコニコして,みんなもニコニコして駆け抜けておしまい。

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May 17, 2015

デジタルコンテンツ時代における,新しい「ドルトンプラン化」。

 いくつもの大学が,自分のところの授業をストリーム配信しようという試みを始めている。行き着く先は,クオリティの高い教育コンテンツが世界中で共有されるというところにある。私のようないい加減な教師はたちまち職を失いそうな話だが,「自分の欲しい内容が自由に得られる」という意義はとても大きいだろう。
 学習者のニーズにあわせて特化された環境を用意するというのは,別段今に始まった話ではない。今から約100年前,パーカーストによって初められた「ドルトン・プラン」がそうである。ドルトン・プランは今の理科室や音楽室のような特別教室の仕組みを確立した方法で,生徒は各教科の先生が待っているそれぞれの教室(実験室)に行き,先生たちが揃えた環境の下でより効果的に授業を受けるというものである。世界中でストリーム配信されるそれぞれの講義を自ら選択し,授業を受けるというのは,言い換えれば世界中の教室に自ら趣く「デジタル・ドルトンプラン」のようなものであろう。
 この場合,デジタル配信と従来のドルトンプランの違いといえば,教室のように実際に参加できるという性格が弱いこと,実習などには向かないこと,そして教授者の目はほとんど届かないということである。結果として,個に合わせた指導(指導の個別化)のチャンスはかなり失われる。リアルタイムの現場にいないというデメリットは,われわれが考えるより大きい。
 何にしても,これまでの学校教育がもつシステムから大きく変化する可能性を持っていることは確かだが,何でも変えれば夢見る世界が待っているというものでもない,長い時間で培われた「対面の有り難み」を失わないように進めていく必要はあるだろう。

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May 11, 2015

月曜日は花を買って(15/05/11)

Blog377
 孔雀草。野の花のような楚々とした感じと,透き通るような紫。5月の日差しに向いているかと思って。
 ここのところ毎年だが,4月から7月までは予定が結構詰まっている。土日すら何かしら動いているという状態。ゆっくり花を眺める時間も少ないが,花を買うのはできるだけ切らさないようにと。


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April 28, 2015

ニコニコ超会議2015雑感

Blog376
 日曜日に,最近関わっている「共創的イノベーション」の参考としてニコニコ超会議に赴いた。普段ニコニコ動画のお世話になることも少ない立場だが,中高生から大人まで十数万人が足を運ぶイベントの熱気に大きな影響を受けたので,備忘録的に感想を。

◯動画配信サイトの看板が網羅できない民主性
 携帯電話が進化し,やがてスマートフォンに置きかわる中で既に電話としての機能のウェイトを失っているように,ニコニコ動画が動画配信サイトとしての機能から明らかに脱却していることははっきり理解した。参加者が配信したいのは,動画ではなく自らが作ったモノやコンセプトの表現であり,欲しいのは自らへのフィードバックである。
 同じ動画配信サイトとしてはyoutubeがあるが,こちらはむしろ古典的な機能を色濃く残しているように思う。その違いは,「画面に直接コメントが書き込めるという,表現への同期性」なのかと思う。本当にその一点に集約される小さな違いなのだが,それだけでこれほどこれらのサイトに集中する情報の性格が変わっていることは見逃せない。
 誰もが配信という形で表現を行い,誰もがコメント書き込みという形で表現を重ね,それぞれの思惑を超えて蓄積されるというのは,極めて民主的な行為だと思う。その上,見えない「お約束」がそれぞれの大きな逸脱を管理する。ニコ動の中ではまだまだ炎上や煽りが発生しかねない匿名性がある。今回超会議にリアルで参加した参加者はその匿名性を剥がした立場として登場している。結果として,とても礼儀正しい振る舞いになっているなあと思った。これは本当に理想的な民主制の中にあることを意味している。
 既にニコ動,そしてその総会としての超会議は,動画サイトからの発展というところから離陸していると思った。それは携帯が,情報端末という存在を既に超え,人間の認識から行為まで網羅する媒体として離陸しているのに一致している。
Blog375


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April 20, 2015

研究室のパターン・ランゲージ(1) ワークプレイス(Work Place)

 Blog373
授業でそのうち使うかもしれないと思い,簡単なパターン・ランゲージの例を作ることにした。題材として「研究室」を選び,研究室のパターン・ランゲージをしばらくの間記述する。いわば「研究室設計の手引」である。同時にブログにも同じものを掲載するので,重複することをご理解下さい。また必要に応じて加筆・修正。コメントのある方はどうぞご自由に。
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 ワークプレイスは「仕事場」という意味であり,オフィスや職場空間といった場所がこれにあたる。ワークプレイスには,働く人がいて,働くための道具・機械がそこにあって仕事を支える環境が用意されている。また,そこで働く人の仕事の仕方によってワークプレイスの環境は調整されながら変化する。
 大学の教員にとって,研究室は自分の仕事をするメインとなる仕事場である。現代の大学教員にとって,「研究室」は必ずしも研究をするためだけのワークプレイスではない。研究室は,次のような目的のために使用されている。
①研究
②学生の指導やコミュニケーション
③大学で担当する役割の事務
④大学における個人の生活の拠点
 上記の目的を達成するために,研究室にはその手段が置かれている。
①研究や大学での講義,事務のために必要な本・書類が保管・整理されている。
②デスクワークに必要な道具・機材,たとえば机やイス,コンピュータなどが置かれている。
③研究機材が設置・保管されている。
④大学での講義に必要な資料,道具,あるいは紙などの消耗品が置かれる。
⑤学生や他の教員,事務職員などが訪れた時のためのイス,テーブルなどが用意される。
④休憩時などに必要となる食器やコーヒーなどの食品,アメニティのための花瓶,家族の写真,小さな絵など。
 これらは全て,大学の教員として仕事をするために何かしら必要となるツールや資料である。これらが一つの研究室の中に収まるように設計される。あるいは研究室を使う本人自身がそれを収めるように工夫して設計しなければならない。多くの機材を必要とする大学教員(研究者)の場合,他に実験室や工房といった場所を持つ場合もある。このように,教員によって研究室がどのように作られていくかはかなりのバリエーションがある。研究室を持ち,そこをワークプレイスとする時,持ち主である本人は,自分の部屋,あるいはこれまで仕事をしていたことのあるオフィスのような何らかのイメージを持ってワークプレイスを築き上げる。
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April 08, 2015

ギドン・クレーメルwithトンヨン・フェスティバルオーケストラ

2015.04.07 石川県立音楽堂

プログラム 
尹伊桑 礼楽
シベリウス ヴァイオリン協奏曲
マーラー 交響曲第4番
(アンコール クレーメル:ワインベルク,ヴァイオリン・ソナタ2番 ウルリヒ:リヒャルト・シュトラウス,「4つの歌」より「明日の朝」)

指揮 クリストフ・ポッペン
Vn ギドン・クレーメル
Sop カロリーナ・ウルリヒ

 「クレーメルが来れーめる」。今回のコンサートはなによりこういうことかもしれない。韓国出身の現代音楽家尹伊桑を顕彰したフェスティバル・オケは知らなくても,クレーメルが演奏するならやっぱり行きたい。しかもチケットは驚くほど安い!
 初めはユン・イサンの管弦楽曲。重層的な音が続く。この曲については旋律という手がかりが私にはほとんどわからない(彼のすべての楽曲がそういうわけではない)。パーカッション以外で細かな拍の変化も少ないので,その音の層に向かい合うことになる。多くのオーディエンスは地図のないオリエンテーションをするかのような感じで聴いている(こういう時楽員はどう感じているのか気になる)。

 続いてクレーメル。私が知っているシベリウスの中でも,非常にバリエーションの豊かな音で演奏。もっとカチッと演奏する印象があったが,結構に揺らし・ずらし,変動のある演奏。師であるオイストラフが骨太なら,クレーメルはもっと緻密な技巧を感じた。第3楽章では一気に爆発し,圧倒される。音はやや湿度のあるウェットな感じだったのだが,音楽堂でヴァイオリン協奏曲を聴くと,音の芯の部分,あるいは中音域だけが強調されて聞こえ生々しく感じる時がある。今回もそんな感じはあったのだが,アンコールでは本当に艶と潤いのある音を聴くことができた。素敵な音だなあと心から。
 オーケストラも同様に,弦の美しさを中心にやはり潤いのある感じ。指揮のポッペンさんはあまり知らないなあと思っていたが,ケルビーニ弦楽四重奏団の第1と言われれば思い出す。木目を濡れ布巾でさっと拭いたようなウェットな艶のあるぎゅっと詰まった音が心地よい。

 マーラーの4番。出だしからちょっと速いなという印象。4番は「速すぎずに」という指示の多い曲だが,60分近い演奏が増えた昨今,とてもキビキビした印象を持つ。そしてダイナミクスも通常より少しずつフォルテ側に片寄った印象を感じた。はっきり・くっきりした演奏。それが聞き飽きない感じを与えて個人的には好ましく感じた。ソプラノのカロリーナ・ウルリヒはその中で振り子のように途中が深くなる発声。出だしと上がりがさらっと薄くなるので,ところどころではっきりしたオケと噛まない感じではあったが。若さがこなれた頃にはもっと深く・厚くなるのかなあという優しい声。リヒャルト・シュトラウスのアンコールではより慣れた感じでさらに丁寧な優しさを感じた。

 1階は結構な入り,3階辺りになると随分少なかったようだが,このプログラムではこれだけ来るのはすごいなあと。一つだけ気になったのは,中学生や高校生の聴衆がとても少なかったこと。私がその時期だった頃には,もっと多くの10代が聴きに来ていたような気がするが。このプログラムとはいえ(おまけに廉価なのに...)少ない気がした。
 

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March 30, 2015

月曜日は花を買って(15/03/30)

Blog369 
 新年度に変わる今週,珍しいリウココリネを。以前にも買ったことはあるが3年ぶりくらいの登場。花言葉は「暖かい心」。春の気候にちょうど向いているだろう。
 外に出ても急にあちこちで花の明るい色が目立つようになった。家の周りでも梅,水仙などが叩き起こされたように一斉に咲いている。春の野草(多分ヒメリュウキンカ)の黄色も眩しい。

Blog370

Blog371

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March 17, 2015

絹子と木綿子

Blog368

 日本人に生まれて40年余り。豆腐とは長い付き合いである。豆腐の味噌汁,中華の麻婆豆腐。冷奴に湯豆腐。長じて酒を嗜むようになってからというもの,特に冷奴は「とりあえず何かつまみ無いか?」の強い味方である。プラスチックの容器から出し,鰹節をかけて醤油。これだけで十分。なんと簡単,なんと平和。
 しかし考えておきたい。豆腐には「絹ごし」と「木綿ごし」があるのだ。冷奴を食べようという時,どちらにすれば良いのか。うちは絹ですという家庭あり,いやいや木綿がという御仁あり。パスタの茹で具合でイタリア人は北と南に分かれ,焼酎のお湯割りは焼酎が先か湯が先かで九州の民は議論する。豆腐であってもそこははっきりしておきたいというのが日本人ではあるまいか。なぜ木綿と絹は話題にならないのか。

 実はそこには触れにくい理由があるとも聞く。実は絹ごしと木綿ごしは絹子(きぬこ)と木綿子(ゆうこ)という姉妹であるという。同じ大豆という父を持ち,同じにがりという母を持ち。布団も同じ木綿という全く同じ生まれ育ちながら,片方はつややかで繊細な美しい肌を持ち,片方はがさつな見た目をもつ姉妹。絹子はあんかけ豆腐といった高級料理界にも顔が利く反面,木綿子は冷奴や白和えといった下町の居酒屋でオヤジ達に「安いやつだねえ」とからかわれながら生きる。どちらも皆に愛され,あちこちに顔が利くという力を持ちながら何故に?と父の大豆は首を傾げたという。

 だったら両方とも食べ比べてはどうかと。40年生きてきて,木綿と絹を同時に食べてみようと思ったことはなかった。2つ買っても100円前後,これはやってみるべき。そこでスーパーに行き,木綿と絹を買おうと思ったら,「木綿vs絹」というセットがあるではないか!相模屋食料というメーカーが最近になって発売したという。それも業界初なのだという。何という意見の一致,相模屋食料の慧眼を讃えずにはいられない。
Blog367
 一つ一つを開けて皿に,今回は豆腐の個性を尊重するためどちらも鰹節と醤油だけにしてみた。日本酒は北陸のあっさりした銘酒立山の本醸造である。

 食べてみると木綿は存在感のある冷奴である。口にした瞬間から豆の味がぐっと前に出てくる。青臭いアクの香りが醤油や鰹の強さとよく調和して,程よい歯ごたえが酒のつまみとしての安心感を与える。これに対して絹はあくまで優美・繊細。肌を流れる醤油を鰹節で押しとどめ,ふわっとした豆乳の香りとそれを覆う醤油と鰹の香りで食べる。個性の強い酒だと負けそうになるので,あくまで豆腐とじっくり向かい合う必要がある。繊細で男が目を離すわけにいかない絹子,これに対して放っといてもきちんと身辺きちんと整える木綿子。それぞれの持ち場で活躍する二人ではあるが,改めてお互い相見える場でよりそれぞれの個性を尊しとしたい。

  これからは居酒屋で冷奴を頼むときも,心して頼むことにしよう。男の一人酒,どちらが出てきて癒してくれるというのか,明日への発破をかけてくれるというのか。


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December 30, 2014

【開催!】 カナビ×ムサビ とことん語ろう アートの授業

 金沢美術工芸大学 荷方研究室では,武蔵野美術大学の三澤一実先生と共同で,シンポジウム&ワークショップ「カナビ×ムサビ とことん語ろう アートの授業 〜ビダイが考える美術教育の可能性〜」を2015年1月24日に金沢美術工芸大学で開催します。
 アーティストは美術教育にどのような貢献ができるか?もっと楽しい美術の授業はどうしたらつくれるか?そんな素朴な問いに2つの美大が取り組みます。

13:00〜13:15 開会と趣旨説明
13:15〜15:15 鑑賞授業ワークショップ「旅するムサビ inカナビ」
        休憩
15:30〜16:30 ミニプレゼンテーション
        三澤一実(武蔵野美術大学) 
        荷方邦夫(金沢美術工芸大学)
16:30〜17:30 トークライブ  「美術の先生が元気になる美術教育」 
       三澤一実(武蔵野美大),
       西澤明 (金沢大学教育学部附属中学校),
       荷方邦夫(金沢美大) 
                                    他交渉中!

 ワークショップでは近年高い評価を得ているプロジェクト「旅するムサビ」を招き,大学のエントランスを全面に使った鑑賞授業のワークショップを。武蔵野美大と金沢美大の学生がパネルディスカッション方式の鑑賞授業を行います。

 美術教育に関心のある学生,教員,研究者など多くの参加を心よりお待ちしています。「chirasi.pdf」をダウンロード

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December 15, 2014

月曜日は花を買って(14/12/15)

Blog366
 ラナンキュラス。決して世間で馴染みの深い花ではないが、春先の美しい花。小さいころ、実家の庭に祖母が植えたりしたこともあり、私にとっては馴染みの深い花である。今年は12月から雪の多い金沢、冬の風情は好きだが、こういう時は少し春を先取りした華やかな雰囲気にするのも悪くない背景をもう少しボカしてとれば良かったな。


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November 26, 2014

花のある風景、久々

Blog365
 先週、細君の祖父が亡くなりしめやかに儀式が執り行われる。残された供花の中から良いのを選んで研究室に。花を見ながら偲ぶ。蘭と菊とカサブランカ。どれも花持ちのいいものばかりなので、しばらくはこの香りに包まれることになる。


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July 28, 2014

月曜日は花を買って(14/07/28)

Blog364
 珍しい花があればたいてい買っているこの企画。今日も初めてのコエビソウ。大正海老(もしくはバナメイエビ)を花にしたようである。2本で100円。この季節,花の保ちも決してよくないので,全体的に安くなるんだと花屋さんが教えてくれる。
 一週間の出張から帰り,今日から通常モード。大して疲れも無いように思えたが,昨晩は8時間寝た。8時間連続で寝られるなんてひょっとすると21世紀に入って初めてかも。むしろ連続で寝られる体力がまだあったことを喜ぶべきか?報告はヒマを見ながらそのうちにでも。


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July 14, 2014

月曜日は花を買って(14/07/14)

Blog363
 ここのところタケシマユリや桔梗と,1週間で次の花のサイクル。今日は花屋に行ったら菊ばかり。そうか,ここ数日は金沢の盆(新暦)なのだな。色のいいところは小さなひまわりだったので,今日はひまわり。梅雨の明けない曇り空にヴィヴィッドな色が冴える。
 今日は写真のボケもいい具合に効いている。


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July 08, 2014

引っかかった!

 午前中から仕事の進行を眺めている時,突然タイムラインに「小保方さん再現実験に成功」のツイート。ほう,と思って思わずリツイート。よくよく見たら3月の「誤報」に反応しただけで,慌てて削除。たった2分ほどの間だが,やっぱり見ている人は見ていて指摘をいただく。いやはや恥ずかしい限り。

 まさに「引っかかった」のであるが,なぜ引っかかったかを考えながら,いくつかの点に思い当たる。
・やっぱりどこかでSTAP細胞が発見されることを願っている。
 これはまさにそうで,本当ならば期待の持てる話ではあるから,研究の妥当性とかを超えてどこかで期待しているところはある。
・ちょうど小保方さんが再現実験に復帰したニュースがあった。
 ただニュースが回ってきただけなら「おかしいぞ」と思うわけだが,新しい情報が増えた時点で,新しい展開が起こってもおかしくないと思えるような状態にあった。情報の付加による認知的不協和の解消というもの。

 2つ目の話は,ある程度その領域に対する知識があると,さらに引っかかりやすくなるというものである。有名なものとしては「痛みの単位としてハナゲが採択された」という事例に似ている。単位系の知識があると,さらに信憑性が高く見えるというもの。

 朝からまあ久しぶりに,人間の認知的なプロセスに思いを致したという次第。いや,認知の研究者だからもっと思いを致せよという...

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July 07, 2014

月曜日は花を買って(14/07/07)

Blog362
 
 七夕。いかにも日本らしい感じで桔梗にしてみる。桔梗は私の家紋でもある。

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July 01, 2014

7月だ&月曜日は花を買って

Blog359
 ついに7月。今年も下半期。これから夏休みが終わる9月までの3ヶ月,スケジュールは予定が一杯。夏らしさを求めて花屋で百合1本(まけてくれたので100円!)。タケシマユリという珍しいものらしい。竹島とはいうものの,これはその近くにある韓国の鬱陵島の固有種なんだそうだ。クルマユリの近縁種なんだそう。下向きな感じがちょっと奥ゆかしくて良い。
Blog360
 今日でカメラを買ってまる1月。相変わらず空と雲を撮っていることが多い。カメラを買うきっかけとなった荒木経惟が毎日空を撮っていることに触発されたせいもあるが,やっぱり空の美しさは格別である。今日は真っ青な空の青が滲んだような白い雲ひとつ。下の写真は昨日の夕暮れ時。あと1分もすれば赤みを失うギリギリの空が美しかったのだが,あまり上手く撮れていないな。もう少し深みのある色だったんだが。もう少しコントラストを上げるように何かすればよかったかな?
 暑くなりそうだが,まだまだ風が爽快な夏の入り。このまま暑くなるのか?それともエル・ニーニョで冷夏となるのか。
Blog361


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June 23, 2014

月曜日は花を買って(14/06/23) 

 Blog357
 最近バタバタして花を買っていなかった。看護学校の非常勤の帰り,花屋の前を通って思い出す始末。夕方の花屋は花も程よく減ってすっきりとしている。夕方なので夕霧草を。梅雨のこの季節,このしっとりした青紫はやはり素敵だ。
Blog358
 カメラを買って3週間。既に500枚近い写真を撮っている。しかし「自分の写真」というのは滅多に撮るものではない。先週仕事の懇親会で,写真をよくお撮りになられるH社のKさんがメールで送ってくださったものが結構いい顔だ。薄暗い室内でよくぞというくらい明るく撮れている。まだまだこんな上手くは行かないな。自分の写った写真,一層の精進のために掲載させていただく。
 よく見ると,ほんとに白いものが増えてきた。50までの10年近くの間に,更に一層の福徳円満の相を示すことができるやら。


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June 11, 2014

鹿児島へ行った

 鹿児島県は「鹿児島の食とデザイン」という一大プロジェクトをやっている。農林水産品王国でありながら,一次産品の出荷が多い鹿児島は,デザインの力でもっとがんばりたいということらしい。そこで,食にまつわる感性デザインなどの話をさせていただいた。
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 食べ物も豊富なら,工芸品も多い鹿児島。薩摩切子や薩摩焼など秀逸なものも沢山あるが, 確かに中央での認知度は決して高くないかも。もっともっと地元のモノを愛して,アイデンティティを押し出すところから始めるのは良いかもしれない。もちろん,鹿児島のために講演する側も,まずは鹿児島の味方であり,鹿児島を愛するところから始めなくては。
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 折しも昨日は42歳の誕生日。懇親会では御祝いまで頂きました。本当にありがとうございました。鹿児島の味方を強調していたら,名前まで「MIKATA」になってました。
 ノリノリになったはずでしたが,その直後向こう側のカップルのテーブルでは,男性が花束をもってサプライズのプロポーズ。おお,バブル期でも見たことがない風景だ。彼女は受け取ってくれていましたが,あの後本当に大丈夫だったんだろうか?

 やはり九州は何となく肌に合う。どんな人と話しても,旧知の友人のような「しっくり感」がある。そういう意味でも得るところの大きな出張でした。

 そして鹿児島でまさかのカメラのレンズ購入。タムロンの高倍率ズームを。通常から200ミリズーム(APS-C)までこれ一台で済んでしまう。常用はこれで十分なのではないだろうか。ちなみに買って10日で撮った写真は350枚。まだまだ撮影練習は続く。
Blog356


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June 07, 2014

今日の撮影練習(14/06/06) 夜を撮る

Blog355
 市祭の「百万石まつり」である。家は浅野川の川沿い。今年で40年目となるという灯籠流しがあるのでカメラ持って行ってみた。友禅の功労者,宮崎友禅斎の供養ということで始まったらしく,昔からあるという風習ではないらしい。浅野川は友禅流しも見られる川,まあ悪い感じはしない。きちんと見るのは金沢13年目にして初めてである。
Blog354
 夜の河に光が流れるというのは何であれ美しい。そのまま海まで流れていってしまうのかとおもいきや,家のちょっと上流の常盤橋から流し始め,1キロほど下流の浅野川大橋で拾い上げるという,意外にエコな企画であることも分かった。流れている読経も,一向宗の加賀には珍しく禅宗。禅寺も少なくはないとはいえ,ちょっと意外。友禅は禅寺と関係が深いらしい。
 こういう暗いところだと,シャッタースピードは30分の1くらい。ISOは驚きの3200くらいで調整する必要があることが分かる。絞りもあまり絞れないので,自分で近くまで行って撮影することに。写真を撮るというのは「足で寄る」ことも大事なんだねえ。
 せっかくなので,たまには一人で飲んで,そのまま片町へふらりと。楽しかったが少々飲み過ぎた。それもまたよし。

Blog356


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June 03, 2014

本日の撮影練習

Blog353
 カメラの話2日目。とにかく撮らねば上手くはならない。まずはオートモードで撮影してみる。そして自分で絞りや露出を変えてみるの繰り返し。今のところ,明暗を際立たせた感じを意識していることが多い。
 食べ物を撮影するのは意外に難しい。皿が並ぶと構図も難しくなるし,構図によっては絞りや露出が気になる。あと,水平を意識することも意外と難しいことがわかる。持った時にどこか歪んでいる。そう考えると,カメラマンって姿勢の良い人なのかなあと思ったりして。
 今日も暑い天気。光が眩しい。青空が黄色く見えるほどである。

Blog352


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June 02, 2014

カメラを買った

Blog350
 初めてカメラを持ったのは中2の時,ホームステイでカナダに行った時。それから30年近く,スナップショット以上の意味合いで写真を撮ったことは少ない。それでも81万画素のオリンパスに始まって,軽くて色の良いIXYを使い続ける。銀塩の方も全くというわけでなく,ペンタックスの単焦点の安いカメラに始まって,親父のお下がりのOM-2,EOS-Kissと「旅行時には」連れ出したりしていた。
 最近になって,研究の資料のモノ撮りが増えたり,カメラの使える友人がいたりで,ちょっとだけコンデジ以上のカメラが欲しくなる。関係各位のアドバイスももらい,生まれて初めてのミラーレス一眼を。電器屋で安かった(今はカメラは電器屋なんだねえ)ソニーのNEX-5Tで手を打つ。Wi-FiがついてiPhoneとの連携が抜群に良かったり,聞くところによると交換レンズなども色々あるんだという。何よりソニーはミノルタを傘下に入れ,昔のαシリーズで売り出している。そんなオッサンの郷愁をくすぐるところもちょっと嬉しい。

Blog351
 
 手に入れて24時間あまり。撮った枚数は50枚強。絞りも露出もISOも,まだまだ何も分かっちゃいない。とりあえず絞りを開いて向こうをボカすくらいのことができるようにはなった。コンデジも良いカメラだと思うが,やはり一眼は一層キレイに写る。
 しばらくの間は下手くそな写真がブログに並ぶかもしれないが,まあご笑覧下さい。ちょっとだけ楽しいおもちゃを手に入れて(いや,仕事に使うのですが...)ウレシイ40代男子なのであります。


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May 29, 2014

問題は「言葉」じゃない 〜日本でのDSMの病名呼称変更〜 ※

 DSMというガイドラインがある。正確にはアメリカ精神医学会の「精神障害の診断と統計の手引き」という。何年かに一度改訂があり,その都度その時代に応じた精神疾患・障害の概念が変わっていく。今回の改訂はDSM-5という。少なくともDSM-3の時代から知っているものとしては,その変遷にも感慨深いものがある。
 今回の改訂に伴い,日本精神神経学会が大掛かりな「病名の呼称変更」を行った。ソースはこちら【読売新聞】。特に,これまで「学習障害」や「パニック障害」と呼ばれていた診断名について「学習症」,「パニック症」という訳が当てられる。「障害」が付く子どもの病名の多くを「症」に変えた。親子がショックを受けたり、症状が改善しないと思われたりすることに配慮した。とのことである。

 実はこの問題,今に始まった問題ではない。もう10年ほど前,それまで痴呆と呼ばれていた名前が「認知症」になった。「精神分裂病」と呼ばれていた診断も「統合失調症」に変わった。どれも今回と同じく言葉の印象の悪さ,あるいは実際の問題と言葉が乖離しているというところから始まった。最初はそれなりに抵抗もあったが,慣れてしまうとすっかり定着するものである。
 しかし,呼称が変更になった結果,最初に目論んでいた「ネガティブな印象の払拭」は図られたのか?その調査は寡聞にして知らない。

 今回のこの変更。個人的には色々な問題が指摘できるのではないかと思う。特に「〜症」という言葉(概念)を広範囲に使うことの問題である。「ダウン症」などに典型的だが,「〜症」は「〜症候群」という意味を持っていて,特定の症状がみられる一連の疾患として理解できる。医師がこちらへの呼び方に変更するのはよく分かる。医師の見立ての基本として症状が先に立っているのではないかと思われる。
 これに対して「障害」は本来別の意味である。この言葉,英語ではdisorder,diability,handicap,impairmentなど様々な言葉に分けられる。私たちが大学に入った頃は,障害と言ってもこれだけの意味があって,正確に使うようにきちんと教えられたものである。これに対して「〜症」はsyndromeというまた別の概念である。
 アメリカにおけるDSM-5での改訂で,これらの言葉が改訂されたわけではない。あくまで日本での呼称変更である。これでdisorder,diabilityとsyndromeが,おしなべて「〜症」になってしまう。ただでさえ曖昧な概念が,より分からないものになってしまう可能性が大きいのである。

 概念の拡大は,結果として言葉の持つネガディブな印象をさらに広げることになりかねない。本来の呼称変更の目的が却って仇になるパターンである。言葉の世界で,虫食いが広がるように「ネガティブな言い方」の範囲が広がる。このような言葉が蚕食(スプロール)される可能性を,本当に見逃していいのかという思いは強い。問題は言葉ではない,もっと重要なのは障害に対するネガティブな印象を,個人として社会としてどれだけ受け止められるか,なのである。

 だからこそ,今回のニュースはこれまでも何度もあったことで済ましてはならないと思う。深い考えのない良心は,結果として全体の不幸を招きかねない。
 ただ,今回の変更。良い点もいくつかあるかもしれない。GID(性同一性障害)が「性的違和」になっている。これも問題は変わらないが,それはそれで考えぬかれた変更のようにも思う。

※ 本エントリは,言語や言語教育に関心をもつ心理学研究者の立場として,主に「言語の保つ意味の取り扱い」の問題として主張しています。精神医学や臨床心理学の専門家とは異なる見解となるかもしれないことをあらかじめお断りしておきます。

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May 27, 2014

月曜日は花を買って(14/05/26) 花の写真と一眼レフ

Blog348


Blog349


 この季節,一度は買っておきたい芍薬。明日か明後日には大きく開くことだろう。
 そして普段駐車している教員駐車場のヤマボウシも今が一番いい頃合い。真っ白な花が青空に映えて美しい。でも何となくボケた写真である。
 金曜日に,豊田市美術館で荒木経惟の写真展を見て以来,心のなかにムクムクと「いい写真を撮りたい」という欲が。毎日彼が撮り続けている空の写真と家の前からの景色。目をつけたものを丁寧に追う感じが良かった。
 とはいえ,写真が趣味になるかといえば心もとない。大体iPhoneを買ってこの方,コンパクトデジカメすらあまり使っていないのだ。手元には亡父がつかっていたEOS Kissと純正レンズもあるのだが,現像が面倒で海外に行く時以外使ってもいないのだ。
 それでも随分前から気になっている。ブログやSNSに,綺麗な写真を上げたいと思ったりもする(パソコンの画面でそれが表現できなくとも)。最近では,一眼レフでもそのままWi-Fiで連携もできるんだそうだ。どれがいいのか,何を撮りたいのか。花は撮りたい。空も撮りたい。難しいことは分からない。

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May 12, 2014

月曜日は花を買って(14/05/12)

Blog345
 黄色のスターチス。一本100円(これだけで1本)。5月なので明るい色の花がいいと思っていたら,ちょうどおあつらえ向き。永遠の愛とか何とか花言葉がついていたように思うが,切り花としても結構短命の花。
 明るい色の花といえば,ツツジが今年もよく咲いている。金沢はツツジの花の時期が長い気がする。早い花はGW頃から色あせてくるし,一方6月になってようやく美しくなるようなものもある。ウチの大学も,こんな風に満開のものもあれば,まだつぼみも良いところのものも。品種なんかでも違うのだろうか。透明感のある色はやはり上気した美しさで素晴らしい。


Blog346


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April 15, 2014

近所に素敵なダイニングバー  不二(HUNI:金沢市材木町)

Blog343
2014.04.15   Facebookの記事より修正して再掲
ふらっと立ち寄れる飲食店がとても少ないわが家周辺。それなのに,4月から近くの天神橋たもとに「ダイニングバー」の看板が。近くで酒が飲めるとな?! それは一度行ってみなければならない。晩酌日の月曜,それも吉田類の酒場放浪記がゴルフでお休みという好条件のもと。歩いて3分の「不二」という店に。
 大正時代の民家を綺麗に改装した店内。靴を脱いで一階は洋室,二階は畳のある和室。どちらも浅野川の流れを眺めながら酒が飲める。酒は輸入ビールから日本酒,ワインにウィスキーまで幅広い。ワインのラインナップも十分だし,日本酒は神泉といったちょっと流通の少ないものや静岡の開運,岩手の南部美人といった金沢ではあまり扱われないものも。食べ物も結構種類があり,どれも片町・香林坊や駅前の同じような店より手頃。あらまぁ素晴らしい。ちなみに3杯飲んでも2,000円しないくらい。これならがんばれば毎日...←コラ!
 今のところ一人で切り盛りする若い店主,静岡生まれでまだ金沢に来て一年。聞けば昼の本業があって,仏師をなさっているのだという。仏教の思想に傾倒し,修業を経て金沢に。単なる仏像にとどまらず,抽象化された現代的な仏像の表現まで多彩。そして何より真摯で理知的な思考に裏打ちされている。これほど人の話に引き込まれるのはいつぶりだろう?というくらい興味深い会話をひとしきり。
 最近ようやく片町・香林坊から離れたところに,魅力的なBARが出来るようになった。出来る限り早く再訪したいところ。お休みは火曜日とのこと。一人でがんばっていらっしゃるので,忙しい時は景色を愛でながら一人思いに耽るのがいいかもしれない(キャパシティは結構広い)。

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細君のアトリエ ーNOKIー

 わが細君が手取川のほとりに仕事場を持つことになった。金沢から山側環状を25分ほど走り,川北大橋からすぐのところ。川北町のスタジオ杜がある横に,NOKI(ノキ)というアトリエが完成した。
Blog339
 まわりは洋風の庭園,広い空間の両側に部屋が軒を連ねている。そこでNOKIの名前。細君のアトリエの他,フリースペース,窯場,木工のアトリエなどが並んでいる。隣にはカフェレストラン。ここだけがかなりモダンな空間になっている。
Blog340
Blog342
 細君のアトリエとその内部。とても広い。ウィンドウには陶造形作品が。この時は作品(フリーカップ)の釉掛け中。
 型を使った射込み,ロクロ,絵付けといった作業はここでたいてい出来るということ。
Blog341
 作品の制作が行われるだけではなく,週末などにはフリースペースを中心に陶芸のワークショップが行われたり,ニーズに応じて設備が貸し出されたり,陶芸に興味がある人に細君が教えてくれたりするらしい。定期的に教室が開かれるというより,一回あたりの利用料金でレッスンが開かれる形。その人に応じて可能な限りフレキシブルな対応。
 作家にとって,そこに集まる人にとってクリエイティブな空間として発展していくといいなと思う。春らしい出発である。


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April 11, 2014

新学期は花を買って(14/04/11)

Blog338
 桜も満開,ようやくウチの大学にも新学期が。心機一転,いつも使う花瓶代わりの瓶に代えて,学生が作った陶器の一輪挿しに蘭を生けてみる。お互いの存在感がよく出ている。


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April 07, 2014

2週間の断酒とダイエット

 人間ドックで肝機能検査に引っかかる。これ自体はまあ珍しいことでもないのだが,さすがに少し健康的にすべきだろうと思いたち,3月25日を境に断酒を決行。これも既に何度か実行したことなので順調に進む。今週からは飲み会なども入ってくるので2週間で完遂ということにした。
 経過はきちんと把握すべきなので,血液検査かたがた献血へ。金沢の献血ルームは片町から武蔵が辻の新しい商業ビルに新装オープンしたばかり。
Blog334
 とても広い待合室。中学校の特別教室くらいはある。そこに20人以上の来場者。あまりにも多くて午前の採血はもう一杯。午後一番の予約をとるという事態。献血者が多いのはいいことだ。

Blog335
 10床の採血室。問診のブースも簡単に区切られ,スペースにも余裕がある。窓が明るく雰囲気の良いデザインとなっている。今日は血小板の成分献血。血管が細いこともあり,普段は採血に時間がかかるのだが,今回の看護師さんは左腕正中の取りにくいところをよく捉え,針を入れる角度や方向も見抜いてくれる。お陰で非常にスムーズに採血が行われる。 
Blog336

 そんなわけで久しぶりに献血終了。カルテで最新のGPTは見ることができた。数値は男性の基準値内(43)。これなら問題のγGTPもある程度改善されているだろう。断酒とともに続けた節制の甲斐もあり,体重も2週間で2kgちょっと減った。まずは良かった。

Blog337
 とりあえず節制明けということで,お好み焼きの「粉」でビール。美味しくいただいた。もちろんこれからが「本番」,適宜呑みながら節制を続けることになる。6月の衣替えの頃までにはもう少し(2kgくらい?)体重も落としたいし,体の内側も健康的な状態を維持したいところ。頑張っていきましょう。


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March 10, 2014

iPad miniになった

Blog333

 予約から3ヶ月,その間に知らない間にキャンセルされていたり色々あったのだが,ようやく手元にiPad mini retinaがやってきた。出張用のPCとしての役割がもっとも大きいので,できるだけ軽く,そしてPCに近いセットアップを目指すと,miniと外付けキーボードという選択は大変好ましい。キーボードはLogicoolのケース付きキーボード。あわせて何と750gくらいしかない。軽いMacBook Airでも1.1kg。
 メールや会議のメモはこれで十分。キーボードの幅はさすがに狭くて打ちづらいが,慣れれば結構使えるのではないかと思われる。少なくともiPadのソフトウェアキーボードよりはずっと便利なのである。Retina displayになった画面も見やすく,容量も64GBにしたおかげで,手持ちの音楽も大抵聞けてしまう。使い出しとしてはとても満足。
 がんばればこれ一台でプレゼンまでできてしまう(Keynoteで)。とりあえず今日から出張。どのくらい使えるのか,まずはテストしてみることにしたい。


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February 27, 2014

人間ドックに行ってみた

Blog330
 不精なこともあって人間ドックなるもの行ったことがない。機能性胃腸症(要は神経性胃炎とか)のおかげでたまに病院に行き,またたまに献血に行って酒の飲み過ぎだと注意され。そんなもんだと思っていた。昨年の春,「40歳だからドックに行きなさい」という勧奨があり,何とか年度内に。まあ本来はやっておくべきだとは思う。公立大学(法人化こそしたが)の教員なので,公立学校共済組合の病院がある。金沢から山を一つ越えた小矢部市の北陸中央病院へ。
 朝から採血や心電図をされる。ブドウ糖液を一気飲みして採血。その次は3分間の心電図,その後は腹部エコー。あれこれやっているうちにお昼で,学校給食のようなお昼をいただく。
 午後になったら検査の合間に内科検診。医師から血液検査の結果なども。やはりγ-GTPの数値は高く,アルコールについての注意はいただく。「飲めるけど肝臓には負担をかけるタイプですよ」と。実際のところ腹囲もちょいオーバー。確かにこの1年,なんだかんだで酒量は多いし,スポーツジムも月7〜8回と最盛期の3分の1。素直に反省くらいはしよう。
 5時にもなるともう大体終わってしまう。待ち時間のために持ってきた小説もあっという間に読んでしまった。そこで売店で活字を調達。本当にいいのかどうか分からない健康雑誌を買うのもなんだし,かといって週刊ポストなんてのもどうも。結局「きょうの料理」を買ってしまう。食べ物が頭から離れないこの業の深さ。
Blog331

 今回,人間ドックにあたり,オプションで一つ加えた項目が終夜睡眠ポリグラフィー。歳をとっていびきの類もあるわけで,睡眠時無呼吸の有無を測るためにも選択してみた。腕に血圧計のような機器を付け,鼻には呼吸を測るためのカニューレ。見た目に仰々しい。
 普段宵っ張りなこともあり,こういう時はなかなか寝付けない。それでも1時頃には寝付いたのか,翌日の起床は6時。水分摂取にも間に合った。

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 翌日はバリウム検査のみ。ファイバースコープを入れたことはあるが胃透視をしたことはない。いろいろ辛いと言われるが,やってみれば「こんなもんか」程度のことであった。9時過ぎには全てのプログラムを終了。お昼までいれば昼食も出るのだが,ここはそそくさと帰宅。昼のうちには飲んだバリウムも大体体外へ。事前に言っておけば胃カメラに切り替えることもできた。これは次の機会からは忘れないようにしなくては。
 
 結果はまだだが,ともかく健康に留意せねばならぬ。とりあえず新学期までの間は食べ過ぎないよう心がけること。運動は心がけてすること。週に2日は連続した休肝日をとることなどは実行せねばなるまい。3月20日を過ぎればとりあえず飲み会の予定も新学期まではない(その前に花見くらいはあろう)。2週間ほど断酒することもできるだろう。
 とりあえずドック明けの昨晩は2合ほど。これでは酔いもしないがまずはこの辺から。久々に「生活改善」というタスクの増える春である。


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February 17, 2014

月曜日は花を買って(14/02/17)

 Blog329
 日が長くなって,何とな〜く春も近づいているかなあという2月も中過ぎ。季節は先取り。黄色のフリージアに心を惹かれて2本ほど。今週は気分くらいは明るく始めよう。
 普段のコンデジを忘れ,iPhoneのカメラで。十分に撮れはするけど,やっぱり奥行きがある時のピントはなかなか合わないね。

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January 06, 2014

新年も花を買って(2014/01/06)

Blog328
 月曜日から始まる今年の新年。こういう時はちょっと華やかな方がいい。いつもの花屋もいつもより花種が多い。スイートピーがたくさん入ったというので,紅白に見立てた2色のピンクを。これで180円。ふわっとした明るさが何とも気分がよろしい。
 さて,気分は良くなった。この勢いで仕事しましょう。


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January 01, 2014

2014年頭のごあいさつ



明けましておめでとうございます。今年もどうぞご愛顧のほどを。

例年今年の抱負を申し上げておりましたが、今年は取り立ててこれをしたい、どうありたいという抱負はなしで行きたいと思います。いや、いろいろ希望や野望がないわけではありませんが。言ったところであまりどうなるということもありません。ともかく今年も何とかなりますように。くらいのことかもしれません。仕事もボチボチ。せめてタスクを落とすことが無いように。日々はまあまあ、苦労をかけることもすることもさほどありませんように。

どちらかといえば調子に乗っている時の方が、皆さんに良いと言って頂けるようです。画像は去年学生が授業中に落書きしてくれたものです。ノリノリの感じが分かります。多くの人に明るい気分をお届けできれば幸いです。

そんな訳で2014年。ウマいことよろしくお願いいたします。

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December 31, 2013

2013年も終わるんだねえ。

 2013年の終わり,桑名の細君の実家で年を越している。ここのところ金沢で越すことが多かったので,毎日晴天の正月を迎えるのは本当に久しぶりである。
 今年はあちこち飛び回った年で,北は知床半島から南は天草まで,年間で15本の出張をこなした。研究も「そこそこ」やって,初めての単著も出したし,他にも2本の書籍・記事を世に出した。厄年の生産性としてはまずまず。いや,これ以上がんばる気は本来ありません。
 そして来年,一体どうなりますことやら。既に1月は4本の出張(ひどいもんだと思いません?)から始まり,公私ともにいくつかのタスクを抱えている。あらどうしましょ,って感じ。せめて体調を崩すことがないように生きたいものです。

 久しぶりに書いたら,各内容すら面白味のないものになりつつある恐ろしさ。もう少し楽しくします。きっと。ではでは,皆さん良いお年を。

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November 25, 2013

月曜日は花を買って(13/11/25)

Blog327
 早いもので,クリスマスまであとひと月。花屋も次第にクリスマスムードらしい。とりあえず珍しいものがあればそれを買うので,今回はバーゼリア。シルバーブローニアという品種らしい。ここまでくるともう花ではなく,松かさのようなものに見えるが,これはこれで花らしい。濃い緑とグレーというカラーリングは,冬の北陸らしくて悪くない。
 終わりの見えない年末。月末の今週もバタバタと過ぎそうだ。


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November 23, 2013

Free for Allが演りたい

 チック・コリアが好きだとか,秋吉敏子が好きだと色々言っているが,一番やったアーティストはアート・ブレイキーなのではないかと思う。とにかくカッコイイ曲が多い,初心者でもモーニンはできる,一度はチュニジアの夜やモザイクをやってみたいと思う。そう,そしてどれもやってきたのだ。ジャズ研時代,最も世話になったドラムが上手だったというのもあるけれど,それにしてもブレイキーはひと通りやった気がする。

 最近になってやりたいのは"Free for all”,メッセンジャーズも後期,フレディ・ハバードにウェイン・ショーター,そしてシダー・ウォルトン。どれをとっても格好いいメンツのプレイである。
 有名なのはこちらなのだが

 もっとカッコイイのは80年代になってブレイキーとウイントン・マルサリスらのプレイ。私これで大きくなった。

 何というか,シンプルなんだけどスリリング。3管でこういうのをやったらもう背筋ゾクーン。死ぬまでに一度弾いてみたい曲である。

 アルバム"Free for all”には,B面にもう一曲スリリングな曲がある。それが"The core”

 こっちの方が熱い。ブレーキのかからないブレイキー。コードワークがシンプルなので,勢いのある学生なら押し切れそうである。っていうか,大学時代なんでこの曲をやらなかったのかというくらい。ジャズはほんとうに面白い。お洒落なジャズなんてくそくらえ。いつまでも,熱くて汗をかくようなプレイのほうが楽しい。

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November 09, 2013

先生は楽しそうな顔をしておく

  8日,金沢で開かれた国立病院総合医学会というところに呼ばれてシンポジストを務める。シンポジウムのタイトルは「看護教員の魅力を考える」。
 私も10年以上関わっているが,日本にはたくさんの看護学校・看護大学がある。看護師の数は学校教員よりも多いのかもしれない。その人たちが知識と技能を身につける看護教育には,おもに看護師を経験した人たちが担っている。その看護教員は慢性的に「足りない」のである。どうやったら教育に携わってくれる人たちを増やすか。そのためにどうしたら良いかと真剣に考え,こういう会になったのだという。私は,教育研究の立場から話をする役割である。

 看護学校の先生は,その多くがとてもマジメな人である。そもそも人の命を預かる看護師は,皆さん真剣でマジメだ。いつも真剣で責任感が強く,そのせいか学校でも皆さん相当にキビシイ。今どきあれほど厳しいのは,初中等教育には少ないのではないか,というくらいである。その先生たちが,真剣に,まじめに魅力を語ろうとしている。
 それを見ながら,尊敬とともにちょっとだけ天邪鬼の虫が騒ぐ。こんなにバリバリで真剣な人たちをみて,多くの看護師さんはどう思うのか。きっと私と同じように,尊敬もし,近寄りがたい存在に見えないだろうか。自分も,同じようになれると思える人が,どのくらいいるのだろうか。
 教師に魅力があるとすれば,そういう高い実力もさることながら,「先生ってなってみたら楽しそうだ」と思える要素も大事なのではないかと思う。「すごい」ことと「魅力的」であることは,必ずしもセットではない。

 そこで真剣な先生たちを前に,ちょっとギミックをかける。軽やかにステージに登り,満面の笑みでプレゼンをし,みんなを笑わせる。既にプロとしての腕を持つ看護師の皆さんにとって,先生になることはそれほど高いハードルではないこと。現に目の前の私をみたら,そんな気がするように振る舞う。そう,先生になろうかと思うキッカケとして,モノスゴイ人でなく,そして楽しそうにしていることは大事なのだ。
 
 別の視点で言えば,自分が生徒・学生であった時,学校が良いところで,楽しいところで,その中に先生がきちんと居ることを実感しないと。先生になんかなりたくはないものだ。その意味で,教員の魅力は「素敵な先生をやり通す,演じ通す」ことに尽きるように思う。

 終わった時,過去の教え子である看護師,今の看護学生に「いつも通りだったね,懐かしかった」,「面白かった記憶を思い出した」と声をかけてもらった。そう,私は学生の前ではそうあるように必死なのだ。

 そう。私の笑顔は決して生まれついての素顔ではありません。20年かけて,心からそうあるように磨き上げた,先生として筋金入りの笑顔です。作為ではいけないので,それが真の姿であるようにすること。それが最大の努力です。

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October 21, 2013

月曜日は花を買って(13/10/21)

Blog326
 秋も中盤戦なのに,まだまだ台風がどんどん押し寄せる。そんな中晴れ間が届く。昼ごはんを食べて散歩がてら花屋に。今日はガーベラ。緋色と白の取り合わせ。ちょっと秋らしいか?
 秋の海のように,時々高い波が押し寄せる毎日。荒くはないが越えるにはそれなりに手のかかる仕事が次々に。今日は今日とて科研分担の書類が「明日までに」とやってきた。それは今夜やるのですね。
 一段落つくのはいつのことか。


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October 01, 2013

新学期は花を買って(13/10/01)

Blog324
 

 ヒペリカムワックスフラワー10月だというのにまだまだ結構な暑さの金沢。衣替えにもかかわらず半袖の方が過ごしやすい。それでも秋らしさは欲しいので,いつもの花屋へ。9月は出張続きで花どころではなかったので,久々にお会いする。
 花屋は菊一色。さすが秋。なにか珍しいものをと見つけていたらこの2つ。確かに何となく秋らしい。特にヒペリカムの赤い実が秋っぽい感じだな。2本で200円と大負けに負けてくれる。いつもながら売上に貢献しない客で大変恐縮です。
 ワックスフラワーはちょっと杉のような葉と香りのもの。花は蝋質なのでこの名前とか。派手な感じがない楚々とした雰囲気でこれもまた美し。

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September 16, 2013

Chick Corea & The Vigil

2013年09月14日 金沢市文化ホール

Chick Corea(p)
Tim Garland(sax)
Charles Altura(g)
Carlitos Del Puerto(b)
Marcus Gilmore(ds)
Luisito Quintero(per)

 世界で一番好きなミュージシャンがチックだと公言してはや30年以上。しかしなかなかライブに行きそびれ,生のチックを見たのは大学1年の時。もう20年も経っている。今回,金沢JAZZ STREETの特別企画で開催決定。チックだって72歳,これを逃すと一生見られないかもしれないと思いチケットを予約。今回は新しいエレクトリック・バンドThe Vigilを率いての登場。70超えてまだ新たに電気バンドをするあたりが凄い。

 ライブは前半がアコースティック系。後半がエレクトリック。最初にNew Trio時代の名曲Fingerprintから始まり,Origin時代のIt could happen to youなど。90年代以降では彼はこの曲をよく取り上げる。今回のようにアンサンブルが複雑にできるユニットだとこういうのがいいらしい。
 チックのプレイの後に,各メンバーがソロを取る。最初はかなり抑えたプレイから始まり,次第に盛り上げていくというスタイルを徹底させている。彼からするとかなり若いプレイヤーが多いこともあり,チックも教育的かもしれない。
 サックスはティム・ガーランド。ソプラノからバスクラ,フルートまでこなすマルチプレイヤーだが,とにかくソプラノの音がいい。またギターのチャールズ・アルトゥラは「突っかかってこないマクラフリン」といった感じ。指はディメオラやギャンバレのようにやはりかなり速い。ベースのプエルトもやはり正確で速い。パティトゥッチのようにギターのように弾くという感じではなく,そこはやはりベースらしい。ロイ・ヘインズの孫マーカス・ギルモアも若く,硬さも残るが,非常に複雑なドラミングをする。お爺ちゃんとはかなり違うテイストであった。パーカッションのクインテロは非常に人懐っこい感じ。ユーモアたっぷりのプレイだった。私はとても好きだ。
 後半はGalaxy 32 Star 4, Planet Chia(確か...)といったハードなナンバー。後期のRTFのように複雑な組曲的なアレンジが続く。チックはどこをとってもチックというフレーズをたっぷり。指が軽やかに鍵盤の上をすり抜けていく。チックは70を超えて完全に全体が統合された世界をつくっているようだ。50年間のさまざまなプレイが一つにまとまっている。

 予定の1時間半を超え,アンコールはスペイン! 80年代ごろ,彼は毎日のように弾いてすっかり「飽きて」しまったようで,そう簡単にはスペインをやってくれなかったが,最近は結構快くやってくれるようだ。これも定番になった客とのカノンもきちんとやってくれる。大人しい北陸のファンも,流石に熱狂の中でエンディングとなった。

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September 02, 2013

バカ話は重要だ

 目の前にある重要なことや必要なことにはおよそ関係がない話。バカ話とは大抵そういうものである。それゆえバカ話はそう歓迎されるものでもない。「バカ話に興じている暇があったらなにか役に立つことをしろ」である。
 かれこれ40年を生きてきて,私はその考え方に全く賛成しない。バカ話は,「独創的なアイディア」の宝庫である。

 1993年。大学2年生になった春に,サークルの大学院生の先輩3人に花見に誘われた。日の落ちた筑波山の麓の池(北条大池という)で,暗くて寒い中酒を飲むのはそれはそれで楽しかった。
 会話は当時のパソコンの話。研究のために買ったとか,やっぱり買ったほうがいいかなあなど。1995年にWindow95の旋風が吹き荒れ,パソコンが家庭に当たり前に入るまでは,まだまだ専門家のツールであった。それでも,きっと近いうちにコンピュータが世の中に大量に出回る予感はあった。

 「パソコンが普及すると,やっぱりアレですかねえ,サンリオなんかと提携して『98けろっぴ(注:けろっぴはキャラクターの名前)』とか出ますかねえ」
 当時「98」といえばNECのPC-98シリーズという代表的なラインナップがあったので,パソコンといえば「98」だったのである。これに火がついて,4人がまあ盛り上がる盛り上がる。
 「年寄り向けに,木目調観音開きの『98 安らぎ』とか?」
 「汚れても自動的にキレイにしてくれる『98 ウォシュレット』。PCだって,洗ってほしい。ですか。」
 「コンピュータウイルスに感染しても,自動的に駆除してくれる『98丸山(注:当時話題になっていた「丸山ワクチン」)にちなんで』」
 
 その時は,ただただバカ話だったのだが,今考えてみるといくつもの「ネタ」が本当に現実になっていった。ウイルスソフトの入っていないPCは珍しいし,特定の対象をターゲットにしたデザイン性のあるPCも珍しくない。

 バカ話には現実味がなくていい。だからこそ,今実現できる可能性とか,適正な価格で実装できるとかそういう制約も考えなくていい。思考に制約がかからない時,自由な発想が促されるのはまあ当然といえば当然のことだろう。「飛んでるアイディア」のために,バカ話が果たす役割は大きい。
 だから会社も学校も,もっとバカっぽく好き勝手に話して遊べばいいと思う。目的のはっきりした中での思考は,制約が強くて一定の範囲の中でしか動き回らない。そういう機会が,最近めっきり減っているように思う。

 ただし,私のまわりにはまだまだそういう「バカ」が少なくない。これは本当にありがたい。

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