中華っちゅうか なんチュ−か
中華のそもそもの意味は,中華思想なる考え方からたどることが出来る。
すなわち,中国(中華)が世界の中心であり、その文化、思想が最も価値のあるものとし、 漢民族以外の異民族を、「化外の民」として見下す思想のこと,とある。日本なんて「東夷の倭の国」なんだから,その扱いたるや昔からぞんざいなものである。中華料理とは,随分大きく出た料理といえなくもない。
で,聖徳太子が使節を送ったとき「日のいづる国」の天子が「日の沈む国」の天子に「恙無きや」と親書を送って不興を買ったというのは有名な話。でもって「日本」となる。考えてみればどちらだって結構なナショナリズムをもっている。
集団がその結びつきを強くするようまとまる働きを「集団凝集性」という,この凝集性を高める1つの方法として,内輪(内集団)をひいきし,他人(外集団)に対する排他性を強めることがある。今回のかの国については,いろんな理由があるにせよ,こんな働きがあることは間違いなさそう。
こういう時って,どうすればいいんですかね。個人的にはこちらも排他的なナショナリズムに走るのは,愚の骨頂だと思うのですが,それでもある程度の正当性は主張していいように思う。
強いていえば,日本製品のボイコットを主張できるわけだから,国家の十分な力量を認めることは大事かもしれない。かの国を「成熟した国家」とみなして,ODAくらいは見直すという「カード」を切れるようにしておくのはアリかもしれないね。
ただね,日本だってまあマズイ所はマズイよね。靖国だなんだって,日本人の多くが参詣しないようなところに首相が殊更に参詣するのも,どうだかって気がしないではない。妙な日本のナショナリズムの足元をすくわれないように,せめて気遣いのある「思想・信条の自由」の行使をしてはいかがなものか。相手の立場を理解しながら話を進める,こういうのを臨床心理学辺りでは「共感性」が高いというが,円滑な関係の上では重要ですな。
The comments to this entry are closed.

Comments