「名物教師」
最近,この単語をあまり聞かなくなった。googleで検索をかけても,大学の「営業ページ」か,過去の偉大な「名物」の話が多い。逆に言えば,エキセントリックな先生が減って,真っ当な先生が増えたということか。
昔はどんな大学や学校にも「名物教授」なるものがいたように思う。これらの先生には,いくつかの特徴がある。
(1)あまり先生らしいことをしない。話が本題からどんどん遠くに行ったり,雑談ばかりだったり。シラバスなんてどこへやらの風情。
(2)本人がエキセントリック。身なりだったり,言動だったり。
(3)教師の技術を持たない。声が小さかったり,やたら居丈高だったり。
でも(ひょっとするとノスタルジーだけかもしれないが),こういう先生がいた時代も,結構良かった気がする。大学ともなれば,先生から懇切丁寧に解説をしてもらわなくても,その先生の人となりで,十分教育に値したこともあった。また,どうにも風采の上がらない感じの先生が,こと証明は神業だったり,和歌の解釈だけは抜群だったり。欠点を補うに余りあるギャップを見せたり,「スーパーマンではないがすごい」部分を見せつけられたりしたものである。その辺りには,学校という理想像ではなく,何となく不完全な「シャバ」の反映を学生は見て取っていたのかもしれない。
その意味では,自分も含め最近の先生というのは,随分「小物」になってしまったのかもしれない。FDとか何とか言っている前に,こういう「名物」も保存できるくらいの度量が,大学にも学校現場にも欠けているのかもしれない。そして講義は脱線した挙句,「テストはテキストをよく読んでおけよ」で,ちゃんと勉強できた「大物の」学生も,減ってしまったのかもしれない。みんな教え上手,学び上手なのも悪くはないが,エキセントリックな人物がいない社会というのも,はなはだ異常な話なのではないか。
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