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April 15, 2006

「DCの入試にまつわるなぜ?」  (再掲)

2004.02.04 「DCの入試にまつわるなぜ?」  
 某大学の著名な心理学の先生のページで、上記タイトルの書き込みを見つける

1)学部にはある推薦入試がなぜないのか(一部はある)
2)なぜ学力試験重視になっちゃうのか
3)研究者にふさわしいと思う学生がなぜ受験しないのか
4)決め手になる試験がなぜないのか
5)なぜ、この時期なのか
6)なぜ、あちこちで大学院ができるのか

 なるほど、これは面白い。特に(3)は身につまされる。ただ1つ言えることは「研究者にふさわしい」資質を持った学生は、他の領域にも大概適応性が高いので、もっと「良い進路」を選ぶことでしょう。自分が大学院を目指したときも、先輩は「(来たけりゃそれでいいけど)本当にデキる人は、国家一種や家裁調査官を受けるんだよ」とからかわれたような気が。あと、「いいよ、大学院に行きな、君は社会に出すより、研究室に押し込んでおいた方が社会には有益」と言われもしたなあ。そもそも(自分は特異な事例と脇によけても)、研究者というチョイスは、やはり「何かの次」のチョイスなのではないかと。

 推薦がないのも、今や不思議といえば不思議だが、やはりない方が良いという思いは強い。指導教官(上司)の恣意的な配慮が反映しないとも限らない。外部の大学の学生で、本当に熱意のある学生がスムーズに入ってくるためには、固有な基準が絡むより試験を課した方が通過率は高いだろうと思う。反対に、学力試験ではなく卒論の質その他で判断するのもいいだろう。研究者の資質を見るいい指標にも思えるが、そもそも卒論の質は大学院の論文のそれとはかけ離れているし、指導教官の指導一つで良くも悪くもなりやすい。その意味では、決め手となる試験は存在しないかもしれない。第1、英語と専門の試験が、後の研究能力にどれだけ関係があるのかすら分からないのではないだろうか。

 研究者の最も基本的な能力が「たゆみない努力が出来ること」ならば、努力なしには点の取れない課題を課すことが最も適切なように思うし、さらに研究者のセンスを見るためには、卒論や研究計画案作成のような課題を出すことも重要かと思う。個人的な意見としては、心理学なら統計と研究方法の試験も課してはどうかとすら思う。となるならば、卒論提出後の今でなければ、試験は成立しないのでは。ついでに言えば、この時期の試験は、落ちると後がないので、ヤワな学生をふるい落とすスクリーニングにも役立つような気がする。もっと乱暴なことを言えば、合格させる側の思いをくみ取って、その場の読める学生でなければ初手からダメなのではとも思う。その意味では、学校はできるかぎり難しい試験を課して、定員を割ってもどしどしふるい落とせと思う。

 試験がより良くなれば、イイ学生はとれるが、そのとき私は落ちるだろうなあ。大学も「心理学ブーム」の直前に入って、後年やってくる入学水準の難化からは免れたし。運というものもあるようだ。

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