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April 07, 2006

教育の「危害」と「気概」

 とある犯罪で係争中の子息が,受験に合格した学校から入学を拒否されたという。朝日新聞の記事(一部荷方が改変)によると,学校側は、代理人の弁護士に対し、学校敷地内への次男の立ち入りを禁ずると通告。その後、「2月19日の入学説明会に来なかったから形式的にも入学資格がない」。と主張する大技に出たという。
 校長は「中学生は互いに影響しあいながら勉強することが大事。保護者も安心して通わせることを求めている。問題がないと言い切れない生徒を入学させれば大きな支障が出る恐れがある。本人に罪はないが、現在の教育環境を守りたい。」とのステートメントを出しているという。
 学校は組織体であるので,その組織を円滑に維持するためにはある一定の管理を行う。それはうちの大学でもそう変わらない。ある決定を下す時には,それなりに妥当な理由を用意するというものである。このケースに関しても,学校側は「学校への危害」を検討して決断したとでもいえばいいのか。
 しかし,話は学校という「教育機関」である。入学する生徒は今後市民として役割を果たすべく,知的にも人格面でも成長を促すべく教育を行うのである。その教育の機能を拒否という形で放棄するのは,教育に携わる者としていかがなものか。ましてや拒否したのは私立の学校である。入試という選考を経て,その学校で教育を受けるに相当すると考えられる能力,あるいは人間性を見たのではないか。それで「合格」させたにもかかわらず,それを拒否するというのは入学選考という方法自体を当の学校が否定したことにならないか。
 私立であるから,経営側の論理というものはあっただろう。しかし学校を組織する一翼としての「先生」はこれをどう見ていたのであろう。もし教師もこれに疑問を全く呈しなかったとしたら,それは教育の気概というものを全く感じない。教育に携わるものとして,困難ともいえるケースに対して,やってみようという熱意はなかったのか。確かに自らに彼への教育能力がないと判断すれば,お引き受けしないのが正しい。ならばそう言わなければならない。少なくとも拒否の手続には,それが認められない。気概が感じられない点が,そこにもある。どうも昨今,学校の中にも「チャレンジする」という意志,あるいは教育に対する「気概」が減じつつあるのではないかと危惧する(生徒にはチャレンジ精神をもてといいながら)。
 教育に携わる私が口にするのは,天に唾する厚顔な態度かとも思う。しかしやはり声を出してはおきたい。今日は新学期,楽しそうに登校・下校する児童・生徒・学生をみながら,彼らが学校に心おきなくいることができるよう,可能な限りの教育の恵沢は享受できるよう,できる限りのことはしようと改めて思うのだった。

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