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July 05, 2006

「正しい答に苦心惨憺」

 少女殺害事件の被告が無期懲役刑を下されたり,某国の弾道弾試験が行われたりで,まあ騒々しい巷間である。おちおち仕事も,といいたいところだが,ヒルトンの「チップス先生」よろしくこういう時においても動じないことは重要であると,淡々といつもどおり授業をする。
 しかしまあ何と言うか,大勢は「目には目を」のようですな,ゼロ・トレランスのところでも触れたが,妙な正義感というか,「熱くなる人々」というか。気持ちはもちろん理解できるが,そうそう簡単でもないんだろうなあというのが正直なところ。脅威に対して脅威を持ってしてもそれはそれで全く変わらないのだろう。

 速水敏彦先生の「他人を見くだす若者たち」のところでもでてくるが,自分は正義を知り,また考えることに瑕疵と破綻がないという「仮想的有能感」は,先のゼロ・トレランスと出会うとき,本当におっかないと思う。少女が気の毒な命の落とし方をしたのは実に嘆かわしい。何をもっても取り返しがつかないから。しかしながら,その犯人に死をもって報いるという,後になっては取り返しのきかない決断には,相当の想像力が要るということを考慮すべき必要があろう。また,自国の尊厳と安全を守るために行う決断は,同時に他国とその住民の尊厳と(可能な限り安全)をいかに保持するかという想像力なしでは,実に独善極まりない。
 少なくとも私自身があらん限りの想像力をもってことを考えたとき,何が最も「正しいか,妥当か」という問いに対して,まったくの瑕疵と破綻のない結論を用意することは難しい。
 しかし思う。すべての人々に対して最大限の配慮をし,かつ効果的な「介入」を考える際には,自己の義憤や信念は時として脇におく方が良い。もっとも冷静に,そしてつまらないほど粛々とことを進める。相手に効く「実弾」を打ち込むときには,何より必要な気がしてならない。自信を持って「こうだ!」という気持ちになったとき,あと2つ3つ,違う可能性を思いつくよう呻吟することこそ,判決であれ外交であれ,そして研究であれ生活であれ,大事なのだろうという気がする。

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