« いつもより1時間 | Main | 更新強迫 »

July 02, 2006

曲者のリビドー

 心理学の先生として,フロイトとユング(ないしはラカンでもいいが)の話をするのは大変である。何せこちらは「自然科学」のパラダイムを多分に使っている。使われる言葉(概念)はきちんと定義が出来るか,あるいはちゃんとその実在が確認できるようなものを使っている。なので「無意識」とか「リビドー」とか,あるかどうかも分からないシロモノを持ち込まれると,とても困ってしまうのである。ツチヤ学部長(土屋賢二:ツチヤ学部長の弁明,講談社)はこれを面白くおちょっくっている。

 「君は嫌いだといっておれを避けているが,それは無意識的におれを愛している証拠だ」
 「万引きしたのは私の責任ではない,幼児期における父母との関係にすべての原因がある」
 どちらもフロイトさんらしい「解釈」なのであるが,これに対する反論をするのは容易ではない。大体元になっている無意識や幼児期の影響というのが取り出しようがないのだ。だから何とでもいえる。ポパーはこれをもとに反証可能性がないと批判する。とはいえ,確かにそういう概念を仮定すると便利だねえ。というものでもある。リビドーなどはその代表である。
 リビドーとは,強い欲望,フロイトの狭義な意味では「(性的な)強い衝動」とでも言えばいいか。このエネルギーがさまざまな対象に向かうことでいろいろ影響が起こる,というわけである。確かに欲望とか衝動とかはあるのだろうし,エネルギーとしてどこかに向かうのかもしれないが,それが量的にはかれるわけでもないし,本当にダイレクトに影響することを確認もしにくい。でも日常のさまざまな場面でこの概念を当てはめると,いとも簡単に「分かった気」になる。で,通俗的な心理学の本※とか,学生とか,これにまあ面白いくらいはまってくれるのだな。
 こういう,理解の上で仮定すると便利な概念というのは沢山ある。現代の心理学に欠かせないスキーマとか性格特性なんていうのもまあ本当にあるかどうかは確かめようがないので,フロイト先生ばかりを批判も出来ないのだが。私達研究者はこのあたり,割と好き勝手に使っている(もちろん,それが実在の概念か観念的な概念なのか分かっているという前提で)のだが,こういうのも教育の中ではどこかできちんと示さなければならないのかもしれない。
 まあ,そんなわけで,私の授業ではフロイトさんは「嫌いな奴」として出てきます。


※実際には,ほとんどの心理学の概論書にだって何かしらは記されている。「古典的な理論」として書く必要があるのは分かるが,学生は「正しいもの」としてそれこそ無批判に吸収する。「事の真偽はともかく,こう考えたのが多くの人に影響を与えた」くらい付け足しておいた方がいい気がする。

|

« いつもより1時間 | Main | 更新強迫 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92639/10766522

Listed below are links to weblogs that reference 曲者のリビドー:

« いつもより1時間 | Main | 更新強迫 »