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August 01, 2006

控えめな批判とは

 「研究者」であるニカタは,当然ながら批評やコメントをすることがある。それらは,普通の人からすれば実に「まどろっこしい」言い方かもしれない。あなたはこういう風に言っており,その点では筋が通っているように見えるが,こうこうという部分もあって,必ずしもそうとは言わないこともあるだろうけど,で,どう?みたいなやつである。
 これはこうだ!とかいって小気味良く一刀両断にしたいのだが,大体そういうのは物事の一面しかみておらず,あらゆる可能性を考えると控えめにならざるを得ない。
 にもかかわらず,最近のメディア・政治・ブログに至るまで,自分の私見をさも「正しいこと」のように喧伝する風潮は強いし,またそれが「正しいもの」として当たり前のように受け止める方も多いように思う。これはどうもねえ,と思っていたら,やはり先に口を開いた人がいた,最近マイ・ブームの内田センセイである。また失礼ながらHPを引用。
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私たちは知性を検証する場合に、ふつう「自己批判能力」を基準にする。自分の無知、偏見、イデオロギー性、邪悪さ、そういったものを勘定に入れてものを考えることができているかどうかを物差しにして、私たちは他人の知性を計量する。自分の博識、公正無私、正義を無謬の前提にしてものを考えている奴のことを、私たちは「馬鹿」と呼んでいいことになっている。
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 そう,馬鹿呼ばわりするほどの勇気はないが,そういうことなんだろうと思う。それにしても,なぜこうなったのかね。 一番大きいのは,AならばBといったシンプルな論理構成に人が群がるからなのではないかと。

 たしかにシンプル・イズ・ビューティーであることは間違いないと思うのだが,我が国の財政,家庭と教育,恋愛と人間関係など,やっぱり複雑でとらえにくいものはとても多いと思うのである。で,そういうのは2ステップ,3ステップと複雑なロジックをたてないとどうにもならないのだが,これを出来るだけシンプルにしようとする動きが強いのではないか。勝手なことを言えば,「めんどくさいから簡単にして」という人間の心性が露骨にでているような気がする。
心理学で言えば,刺激と反応(S-R)で何でもカタをつけようとするようなものか。
 この100年というのは,シンプルな説明を目指しながらも,そういう複雑なものは丁寧に扱っていこうとしてきた歴史のように思う。それがどこかで「簡単な方が良い,苦労しない方がトクだ」というテーゼが至上のものとなり,結果として個人が「シンプルの誘惑」に溺れて,稚拙になっているのではないかとすら思われる。結果として,批判やコメントは成極化し,さも「正しいものである」かのように跋扈するようになったのではないか。
 とここまで書いてきて,やはり自分の文章は一刀両断ではない「まどろっこしい」ものになっている。

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