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September 14, 2006

「今世紀最大かつ最後の巨匠が放つ至高的芸術の金字塔」(再掲)

これは今見ても,割と良くできている創作と思う。

初出 2000年頃

「今世紀最大かつ最後の巨匠が放つ至高的芸術の金字塔」

 ジュリアン音楽大学器楽科ピアノ専攻伴奏学研究室講師の麻生圭太郎はその朝、鈍い頭痛とともに目を覚ました。

 ベッドの上から見回すと、そこはワンルームの部屋。こたつと本棚、安物のワードローブの他には、場違いにしっかりしたベッドだけ。朦朧とした意識で隣を見ると、まだ二十歳を越えたばかりにしか見えない女。その10秒とも10分ともつかない時間を流しながら、圭太郎はやっと事の事情を飲み込んだ。

 きのうの晩、隣で飲んでいたOL3人の一人がこいつだ。妙にノリのいいグループで、マスターとの会話に割ってきたと思うや否や、すっかり一つのグループにまとめ込まれてしまったんだったか。それから飲んで、話して、確か一本奢って、次の店の話をして、それから.....。

 「ま、ということだ」。三十を越えたばかりの独身とはいえ、とりあえず納得するしかないような飲み方をした自分に圭太郎は苦笑した。そしてこの若い女が、24だと言っていたことも、何となく思い出した。

 やがて女は起きた。寝起きのいいこの女は事の事情をよく理解しているらしく、ベッドから威勢よく身を起こすと、本棚のラジカセにCDをかけた。朝からチャイコフスキーの「序曲 1812年」だった。最初は確かに静かでいいが、8分後からのあのオーケストラの狂騒と大砲の音を想像すると、頭痛が今から激しくなりそうだ。

 「きのう音楽が好きって言ってたでしょ。私も聞くの。B’Zとか、美里とかも好きなんだけど、最近クラシックとかも聞くのね、意外でしょ。何て言うか、小さいときピアノひいてたのね。だからこんなのも分かる?って感じ。この人知ってる?、カラヤンていう人なの、帝王って呼ばれてるくらい、有名なんだよ、知ってる?」

 圭太郎はCDのジャケットを手にした。黄色のその表装は、明らかにドイツ・グラモフォン。最近はやりのベスト盤系だ。彼はこの帝王があまり好きではない。いかにも派手なそのスタイルは、確かにこの人の最大の持ち味だし、最高のオケ、ベルリン=フィルというのも文句のつけ所はない。でも、人気の監督と申し分ない人間ばかりを集めたジャイアンツのようなこの取り合わせは、何となく虫が好かないのだ。

 帝王ねえ、カラヤンなんて、その強権的な支配に対する揶揄も含んでのこの名前なんだが。単純にジャケットのコピーを披露しただけのこの女の子供っぽさを、彼は心の中でまた苦笑した。高血圧かもしれない女は、親切にも私に朝食を作ってくれる気らしかった。

 クラシックの音楽家のコピーなんて、それはいい加減なものだ。とかく凄いコピーさえあればそれで十分なのだから。

 「今世紀最大の」、20世紀をほぼ生きた、70を過ぎた年寄りには誰にでも使われる。「巨匠」とイコールでくくってしまってもいいコピーである。この90年代に、同期の友人がみんな死んでいるならば、「今世紀最後の」も使える言葉だろう。体が弱って動きが悪かったら、「不動の」だって使えてしまう。

 コンサートのキャンセルが多かったり、現代の演奏家としては欠かすことのできない録音を渋ったりして、仕事の少ない我侭屋ならば、「幻の」で事足りる。逆にコンサートや録音をホイホイ引き受けるお人好しは、「人気の」で十分だ。

 「通好みの」、「玄人受けの」なんて言葉は、もはや普通の感動が得られなくなったマニア受けだからして、偏った演奏をすると考えればよろしい。

 「神童」、「若き俊英」は何より悪い。コンクールで賞を取っただけの、若くて技術だけあるガキに、良い演奏なんてあると思う方がどうかしている。何と言っても年を取ると看板がなくなって、ただの二流になってしまうのがこいつらの能力のなさを物語っている。そういう意味では気の毒でもある。一世を風靡したピアノの「若き俊英」ブーニンは、当時は指だけ回るような「機械」だった。今はもっと落ち着いて、いいショパンをひくんだが、今ではコンサートの広告さえ見ない。

 手堅くやって個性がなければ、「職人芸」。ジョージ=セルやアンタル=ドラティいのようにいまいち大舞台に恵まれなかった不遇な指揮者は、二流のオーケストラを自分の力で良くするしかないので「オーケストラ=ビルダー」。でもこれは本当は実力のある指揮者だからいいか。「究極の」・「至高の」なんて漫画じゃないんだぞ、大体その言葉はどういうときに使うんだ?。死んでしまえば「不滅の」。内容なんてどうでもいい。コピーによって表れ出す、「作られた個性」で大半は売れるのである。

 「あ、この曲も好きなの、ベートーベン?。でもこのラザール=ベルマンていう人。よく知らないけどね。でもこのガンガンっていう音、カッコよくない?」

 残念でした。これはチャイコフスキーのピアノ協奏曲。でもベルマンを褒めたのはほめてあげよう。彼こそ若くして評価されたソ連のピアニストだよ。でも政府によってシベリアに抑留されて、10年いなくなったからね。本当の「幻」さ。ガーリックトーストとハムエッグ。オレンジジュースにヨーグルトまでつけて、彼女は意気揚々と朝食を持ってきた彼女に、彼は思わず教えてあげたくなった。彼にとって、ベルマンは掛け値なしに大好きなピアニストなのである。

 音楽なんて気分のいいときにはいい曲に聞こえ、自分の性格とはそりが合わなかったら悪く聞こえるものだ。後はどのくらい、「手堅く」て丁寧な仕事をするかどうか。自分や周りの人と「気持ちよく」仕事ができるかどうか。三流ならいざ知らず、プロなんてある意味みんな出来るわけだから。

 じゃあいい音楽家って何だと聞かれると、プロなのに圭太郎にはそれが分からない。分かってたらこんな大学で講師なんてやってない。美しい演奏をする友人と、いただけない「巨匠」。その差が何なのかも、良くは分かっていない。ただ分かっているのは、一流の演奏家の方が、大仰なコピーなしでも多くの人を感動させられること。何がそうさせるのか、一人一人についてその技術やスタイルの「評論」はできる。でも、すべてに対しての説明はなさそうだ。なるほど、演奏家自身だってそうなんだ。「巨匠」とでも呼ばなければ、その人の仕事は、きっと言葉では伝わらない。

 女に促されるままに、圭太郎はトーストをほおばった。そして、音楽家として、音楽の良さを言葉では表しきれないことに、心からの歓びを感じた。

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