大人げないとは思うが
テレビゲームを研究テーマとして扱っていると,迂闊に「ゲーム批判」に対する反論を述べてはならない気がする。しかしながらまあこういう記事にはコメントしておいた方が良いかと。
実際はこのような記事。
>「周囲の人とうまくかかわることの出来ない子どもが増えたのはテレビ漬け、ゲーム漬けになっているからです」と注意を促す講師は成田弘子さん。NPO「子どもとメディア」会員。蕨市立中央東小学校教諭。
表情のない子、言葉の習得の遅い子、視線をあわせることの出来ない子が増えてきたと指摘。
>小学生が起こすいたましい事件の原因の一端でもあるとのこと。
少なくとも言語習得や感情表出についての問題,あるいはその他の問題行動と,上記のメディアの関連についてははっきりとした因果関係を指摘している研究は見られないし(詳細は,荷方,2002,2008などを参照),あったとしてもその検証が必要なレベルで,この「確定的な」主張は「勇み足」と言わざるを得ない。もっと言えば,このようなメディアに長時間曝露されている多くの児童・生徒の中で,良好な発達をしている個人がいれば,それはそれで「反証」となりうるので,極端な断定は避けられたいと思う。
> 「幼児にとっては、テレビは光の明滅による刺激でしかない」と成田さん。電子音の刺激も思わぬ影響を与えるという。 「画像や電子音ばかりになじんでしまうと、人の声や、人との接触を拒むようになります」。
その指摘は正しいが,そのような刺激ですらも,発達には重要な意味を持つ。多くの感覚遮蔽実験が,早期の刺激の重要性を示しているとおり,その刺激自体が重要なのである。幼児にとっては,古くからあるガラガラも,音を立てて回るメリーゴーランドも基本的には単なる刺激にすぎない。
もちろん,メディアに親の代わりはできないし,対人間のコミュニケーションの重要性は言うまでもない。長時間のゲームやテレビへの接触が,他の有意義な活動をそぐという意味では,もちろん「上手なつきあい方」を知ることは重要である。しかし,その根拠となる「科学的事実」が正確ではなかったり,いささか歪曲にあたると思われる部分があるとすれば,それはかえって主張の正当性を欠くこととなりかねない。極端なことを言えば,対人関係を無視して読書にふけったとしても,学問に勤しんだとしても,それは「問題」なのである。
このような報道が続けられるにつけ,本来の意味で有意義な「教育的議論」は遠いなあと感じる。一番大事なことは,ある対象を善か悪かの2分法で捉えない個人をいかに育てることかと思いますが,いかがなものでしょう。
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