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October 25, 2009

乱聴濫読 選り好みなし

 先日話題に上っていたグラモフォンの55枚セットが手元に届いた。さてどう聴こうかと思ったが,1枚目から聴いている。ハンガリア舞曲全集とかこれまでベートーベンの弦楽四重奏曲とか,これまで手に入れたことがないものが多いので,当然「初めて」の経験を頻繁にしている。
 若いとき,例えば小学生とか中学生の頃は,目の前に現れるものがほとんど「初めて」のものなので,それはそれは選り好みせず体験した。音楽も本も,人生も。そのうち次第に経験が増えてくると,「私はマーラーが好き」とか,「武者小路実篤は殆ど読破した」のようにあるディレクションがついてくる。
 丁度この頃青年期にさしかかることもあり,「アイデンティティの構築」のためにもこの傾向はいっそう強くなる。青年期が終わる頃には一定の趣味・志向といったものができ,このころから「村上春樹の新刊が出たら買う」とか,「ブレーズの今度の「春の祭典」はこれまでと違う解釈だ」のように選り好みが強くなる。その結果大人になってからというのは発想が本当に硬くなるようだ。どうもこのあたりに原因があるらしい。
 
 この傾向は例えば服のセンスに顕著に現れる。若いときは何とか自分に合うようにあれこれ調べたり,足しげく服屋に通ったりと大変である。これが一旦「大体こういうのは着こなせる」ようになる。私たちの世代であればモノトーン主体とか,もうちょっと下になるとギャル服とか。好きな服のブランドの固定化とともに,自己の一定化が始まる。残念なことにこの年になると新しい試みというのが億劫になり(というか,忙しいのだ),結果として10年後には時代遅れになっていることが分からない,あるいはセンスの劣化が激しいということになるようだ。
 おじさんの服のセンスがダサい(これも古いね)としたら,大概は自分を着飾るのに興味がなく,奥さんに選択を任せっきりだったりである。まあ自己呈示に不安がなくなっているということは喜ぶべきことかもしれない。私のようにこの歳にして独身だったりすると,まだその自己呈示にも少々努力が必要なので,幸いまだ気を遣っている。
 これを避ける一つの良い方法がある,自分が好きな服だけを買うのではなく,店員に多少のチョイスを願うことである。例えば一点ジャケットを購入したら,それにあうニットは聞いてみるという手である。時として自分が絶対に選択しないものを薦められることがある。あちらは専門家であり,最近の動向という点では良く知っている。無闇に変なものを勧めているわけではない,こちらの年恰好も考慮においてチョイスしているのだから,だまされたと思ってきてみると,半年もしないうちに意外と悪くないことを知ることがある。不思議なことに,たまにこれをやるとセンスが遅れていくことを防げるらしい。残念ながら,これは奥さんで代用することは困難なようである。

 話を元に戻すと,われわれのような歳になっても新たな進歩・感動を味わいたいときは,確実な効果を期待せず,選り好みなく目の前の世界を選択することにあるようだ。また,この歳になると,選り好みなくといってもとんでもないものを掴んでしまうような失敗は,意外と知らないうちに回避できるようなセンスも持ち合わせるようになるらしい。乱聴濫読悪食着倒れ,人生はまだまだ知らないことだらけというのがよろしい。

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