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October 16, 2009

近代と現代

 現代:その時代が言及される時点において、現に今、進行している時代

 国語の先生をしていた身にとって,現代とは第二次大戦後を一般にそう呼称して構わない。近代といえば基本的には明治以降の言文一致体の誕生を示す。とはいえ,その取り決めが出来てから50年以上が経つわけだ。当然変化が起きてしかるべきだろうと思っている。今日も学生が映画「羅生門」「時計仕掛けのオレンジ」の話をしていて,話が見えないということをいっていた。それもさもありなん。彼らにとっては「生まれる前」の話でしかなく,共時性が感じられないからだ。
 彼らにとっては,太宰も安岡章太郎も,場合によっては石原慎太郎だって,「自分とは縁のない昔の話の人」といって構わない。先の学生「太宰もよしもとばななも「同じ」っていわれてもねえ...」。そう,そろそろ現代は,平成辺りを1つのメルクマールにしても差し支えない時代に来ているのではないか。たとえそれ以前を生きたことのある我々が,「それを昔といわれてもねえ...」と違和感を感じてもである。一番上の定義からすれば,現に今進行しているとは言い難いからだ。方やドッグ・イヤーといわれて,時代の進行が速いといわれているのに,時代区分だけ変わりませんというのもおかしな話ではないか。

 国語の先生をしていた10年前,「現代文」の授業で森鴎外を取り扱うことに悩んでいた。センター試験の現代文にも出ないわけではないし,教える側としてはさほど違和感もない。しかし「石炭をばはや積み果てつ」。「果てつ」って「終わってしまった」だろう?まんま古典文法では?つまり,生徒に現代文として教えることが極めて困難になってしまったのである。文法の事情を無視しても,漱石や田山花袋,泉鏡花といった文学者は,既に「近代」のカテゴリーからも遠ざかりつつあるのではないかと真剣に悩んでいたのである。
 そろそろ,「近代」概念も再考が必要なときかも知れない。あるいは,近代と現代をダイレクトに分かつのではなく,その中間を検討する必要があるかも知れない。「古典的近代」と「近接的近代」とかね。

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