« 真夜中のショック(むっちゃコア) | Main | 多数アクセス御礼... »

January 24, 2010

そりゃまあ,間違ってはいません。

 皇族がオックスフォードで「哲学博士号」を取得すると報道された。ソースはこちら。ニュースには,「寛仁親王家の長女彬子(あきこ)さま(28)が英オックスフォード大で「哲学博士」の博士号を取得することが決まったと発表した。皇族で論文審査を経て博士号を取得するのは、秋篠宮さまの「理学博士」に続き2例目。女性皇族では初めて。」とある。
 研究者を含め,知っている人は多いが,このときの哲学博士は「Ph.D」のことで,日本では専門職大学院である法科大学院の法務博士以外は理学であろうが工学であろうが,全部Ph.Dのことである。このニュースを見ると,まるで「理学博士」は「哲学博士」ではないように見えるが,どちらも同じなので誤解の多いニュースといえるだろう。もちろん,本当に哲学の学位をとったのかもしれないが,どうも研究が美術史や比較文化研究のようなものらしいので,それも違うように見えるのである。
 そろそろ日本も,学位取得のニュースを報じるときは,「Ph.D(...)」とか,「博士(~学)」としてみてはどうかとも思うが,ニュースの価値として,そういうことは大した問題ではないのかもしれない。いや,確かに問題ではないのだろう。

|

« 真夜中のショック(むっちゃコア) | Main | 多数アクセス御礼... »

Comments

【因果の壊れと中道のみち】

【哲】
過去(原因)など, 未来(結果)など, 今しか, 事しか存在し得ない。

原因が結果を生むのは事を物として捉え法則化した場合, 即ち【己意志】の信仰のある場合に成り立つのであって, 無限の物質が事を確定することはないし, 抑事が何かを知り得ない以上それを再び起こす再現性などあり得ない。

ただ全容を確定するのは是の裏側の【絶対無】である。

即ち法則とは⇒【絶対的意思】の信仰の道具である。


《『私は物質にも, 創造主(神)にも支配されてはいない。私は認識した物を肯定しつつ, 否定的なのであり, さらに言えば私が唯一質(事)を物として捉え造り出せる。だから己が支配を受けていると言う妄想と祈りの信仰よりも, 宗教・思想よりも尊いのは, 生きやすい【考え方】だと知っている。如何なる方法も否定は出来ない。それが生きると言うことなのだ』‐中道のみち‐》


【知・法の根本】

如何なるものも信じているから成り立っている。私自身は宗教が大嫌いで, 哲学とこれを基礎とする科学さえあれば, 人類に宗教という最も劣悪な信仰は要らないと思う。尤も道徳的教義は必要だが, あくまで信じているからこそ相手が物か人か, はたまた両方をもつ対象なのである。

宗教こそが最も有害である為, 哲人はこれを粉砕し, 想定される万人の自由の釣り合いを確保する為に, 如何なる方法も講じなければならない。この考え方が柔軟でありつつも厳格である法哲学(ほうてつがく)の根源であり, 当然, 己意志の望みが一指導者の思想の忠実なる再現である宗教信者が国家の要職に就くことは思想の犯罪である。これは市民に阻止する権利がある。従って教育はある程度中立な哲学者と科学者が共同で指導に当たらなければならないし, 偏向の著しい思想家・宗教家は教育の場から除かれるべきである。

Posted by: ガイア | January 24, 2010 06:04 PM

>ガイアさま
エントリにコメントを頂きありがとうございました。ただし,仰せの件は本エントリとは趣旨を異にするように判断されます。今後はその旨を諒として御投稿くださいませ。

Posted by: nikata | January 24, 2010 09:18 PM

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference そりゃまあ,間違ってはいません。:

« 真夜中のショック(むっちゃコア) | Main | 多数アクセス御礼... »