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September 06, 2010

アンチエイジングという名の不適応

 昼飯を食いに外へ出る。食堂のテレビで「お肌のアンチエイジング」を放送している。肌が年をとるのがもの凄く醜悪で見苦しいようにCGで合成している。その見た目の醜悪さというより,番組のねらいの醜悪さにげんなりする。
 発達心理学の観点から考えれば,発達そのものは「適応」の過程であるといって差し支えなかろう。「君も大人になりなよ」という台詞は,大抵において「もう少し周りのことに合わせろよ」というシグナルであり,個人が取り巻く状況に適応的に対処することである。年をとって変化が進む諸々のことに対しては,適応的に対応する方が,基本的に理にかなっているのだ。適応がうまくいかなかったとき,人はたいていそれまでの自分に固執するか,適応できないことによる様々な問題を発生させる。問題が発生したとき,それを不適応と呼ぶ。発達期における様々な問題は,その多くが不適応という形で表れる。
 アンチエイジングに狂奔する人々は,自らが「年をとること」に適応していない。年をとればそれなりに上手い生き方もあるはずなのだが,自分の現在と未来に対して責任と受容が果たせないということであろう。年をとっても若くいられることと,年をとっても若いことは別である。心理的・技能的な能力のほとんどは,若いときからの積み上げのことが多いのだから,そうそう失われるものでもないのだ。また,体力のような失われやすいものも,その他の能力によって補われることもある。「老練」という言葉はそのためにある。
 改めて考えると,若い時のままでいたい人というのは,若いときが良かった人ではないような気がする。むしろ若い時を良く生きた人は,いい歳の取り方に敏感であり,また年を経ても魅力的な感じがする。改めていうが,年をとっても若くいられることと,年をとっても若いことは別である。若いときに満たされた,あるいは若い自分の特権を十分に享受できなかったため,「もう少し待って欲しい」と発達の先送りをしているのではないかと思えなくもない。そこにあるのは成熟の拒否である。成熟の拒否が様々な不適応を生じさせることについても,既に多くの研究と知見があり,おそらくこの見方に大きな間違いもなかろう。
 大体いつから「若いこと」にそんな価値が与えられたというのだろうか。実のところはうすうす気づいているのだが,それはまたそのうちということにしよう。

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