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September 24, 2010

壁についての些かなる論考

 先生という仕事を「壁」になぞらえて,ちょっとツイートした

>先生は学生の前に立ちはだかる「壁」になるといいと思う。でも壁は厚いだけで,うるさい壁はめんどくさい。先生に必要なのは「厚さ」。と思いつく新学期前。

 ほどなく,同じ大学のO谷先生が

>「ドストエフスキーの智慧に依って、壁は決して人間がそこにあたまをぶっつけるために立っているものではなく、人間の運動に曲がり角を示唆するために配置されているものだということが見つかった。」(安部公房『壁』序より)

 なるほど,先生は学生を跳ね返すためにあるわけではないから,この考え方はなるほどと思う。そうなると,次の余りにも有名な村上春樹の言葉は,学生と教師の間の関係にも適用できる。

>高く、堅い壁と、その壁に当たると割れてしまう卵の間で、ぼくは常に卵の側に立とう。

 これは,「壁」である先生がその態度を自ら持っても全く問題はない。壁たるわれわれは,あくまで対峙するために存在する。まちがっても,壁の内側,ないしは背後にあるものを防護したり,安寧をもたらすためにはないのだ。そして壁は自分自身を護らない。
 とはいえ,壁がペラペラでも困る。たとえ見た目だけでも,難攻不落に見える「分厚さ」が欲しい。そしてその厚さは,仕事であり,経験であり,過去の蓄積である。本当は,この厚さを作り続けることが最も難しいのである。
 われわれ教師が対峙する「卵」は,意外なまでに強い。なかなか割れない。かならず,壁を越えていくか,ないしは上手く付き合って欲しい。われわれは,難攻不落の壁ではない。「難攻必落」の壁でありたいのだよ。


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