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March 23, 2011

「予測する」力

 相変わらずテレビやネットでは地震関連の情報が飛び交っている。情報が飛び交っているだけならまだしも,不安や不満も飛び交っている。やれどこそこが停電だ,やれ高濃度の放射能が検出された。「不幸にも」原発が地震に耐え切れず,機能を失ったのだ。送電されなければ停電は起こる。放射能が飛散すれば,近くに影響は出る。これを責めても致し方はない。それをもし責めるなら,M9にも破綻しない世界の構築に,どれだけのお金がかかるか考えて欲しい。そんな高負担,消費者・国民は願い下げじゃなかったか。
 今起こっている現実は,どのくらい危険なのか,最悪のものなのか。われわれは不安が高いと,自己を保護するためにリスクに対し敏感になる。つまり最悪の状態を見積もる。政府が国民に嘘を付いていると仮定する,とか,放射性物質がアメリカでも確認された(だから日本中危険な状態に汚染されているに違いない)など。それは残念なことに,ほとんどが本来の姿を反映しているものではない。あるいは,現在の科学をもってしても,数日の間には分からない。というものなのだ。だから,「直ちには影響はない」ことも,「調査中」のことも多くなる。

 不安や不満を口にする片方で,こういう時埋もれそうなのが,「あまり動じない人」の存在。楽天的な人もいるが,それと同じくらい,「大変だと分かっていても不安にならない人」もいる。東電や保安院の人とか,政府の人とか。役回りの問題もあるが,それ以上に彼らに共通なのは,本当の意味で事態が分かっていることなのではないか。

 彼らはおそらく,原発のこれからも,放射能の問題も分かっている。廃炉になった原発は,何十年もの間放射能の管理がいる。それは途方も無いことだが,そもそも彼らは現在でも放射性廃棄物の管理を何十年もの間やっている。方法は分かっている,彼らの心配は,大規模な管理のコストの問題である。放出された放射能の量だって,1950〜60年代の核実験で放出されたセシウムやプルトニウムの量よりも「少ない」だろうことを予測している。原発の放射性物質は多いが,核実験のように大量に飛散はしにくい。そもそもそのためにあの努力なのである。

 東電や保安院の人に限らず,同じ反応をする人は少なくない。おそらく,そういう人は「知識」に裏打ちされている。どれほど正門前の放射線が高く,放射能が広くに飛散したとしても,放射線は距離に反比例して減少し,飛散も希薄化する。これは物理や数学の(中学校でも習う程度の)知識で理解できる。大量の放射能がばら蒔かれたヒロシマ・ナガサキでも,焼け野原は翌年から緑への回復を始めた歴史。リスクが無いわけではない,リスクに見舞われないこともない。しかしそのリスク(放射能)は,交通事故やストレスによる自殺の何十倍ではおそらくない。そういうことを「予測できる」人は,あまり騒がない。いや,騒げない。騒ぐには裏打ちされた事実が少ない。「分からないことは,保留にするしかない」。これが科学的態度の基本であり,「正確さ」の本来の部分である。

 この予測する力,誤解を恐れずにいえばかなりの部分が教育の産物であり,適切な知識の獲得能力と推論の能力に裏打ちされている。もし報道が,社会への啓蒙を目指しているならば,そこはきちんと教育する姿勢が必要である。先生を自認するマスコミが,生徒と一緒に慌ててどうする。適切な知識の獲得や運用の力を失ってどうする。そう思わずにはいられない。
 もちろんそれは難しいことでもあり,不安な状況のもとでは,だれでも自己の保護から始まることもわかる。その時の覚悟を養うのも,やはり教育の力によるところが大きい。覚悟をもって事に当たるレスキューや自衛官も,あれはそういう世界に身をおいたという教育の効果であり,生まれつき覚悟が出来ていたわけではない。

 ではどうすれば,これらの態度が身につくかというと,それは非常に難しいことである。少なくとも言えることは,自分の立場・感情からいったん離れることや,自分の確信・信念に疑問を持ち続けることである。予測は予断ではなく,個人からいったん切り離されて存在するようである。これが教育であまねく授けられるなんて,そんな甘いことは考えていない。しかしまあ,世の中には出自・学歴・経済状態にかかわらず,出来る人がいるものである。何でしょうかね,これは。生きて行く中で,自分以外の世界に目が行くというか,鋭さよりも柔軟さを身につけた人というか。このあたりは,どんな学問でもまだまだ「分からない事だらけ」なんだろうと思う。


 

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Comments

その通りですね。僕も教育に携わっているものとして、そう思います。つまるところ、高等教育が目指している事はいかに批判的思考をできるようにするか、であり、そのために我々が苦労する事になるのだと思います。批判的思考があってこそ、こういった時に予測する事ができるのだと思います。

残念ながら、少なくとも、僕にはどうやって批判的思考を教えるのが効果的であるか、は未だにどうしたものなのかわからない事の一つです。個人個人によって、アプローチが異なる上に、これはある一定の事をしていくうちに知らない間に身につける能力と思われるので、多分、万人に向いている方法などはないのでしょうが、考えてはしまいます。

ただ、一つはっきりしている事は、教育と知識は同じではないということ。物をただ知っていてもその知識を生かす事ができなければ何の役にも立たないこと。逆に知識がなくてもちゃんとした論理をたてる事ができればこれはこれでものすごく役に立つ。こういうのが本当の意味で頭がいい、と言うのだろうな、と思います。残念ながら、こういった認識が一般の人には無いようで、物を知っている事が自動的に「頭がいい」と思っているようですが。

Posted by: 二郎 | March 23, 2011 at 08:41 PM

>二郎さんへ
 そう,高等教育の役割は「懐疑」を身につけること,懐疑→立証→懐疑のサイクルを実行出来ることですね。そのための材料として,知識と知識の獲得は必須。しかしそれだけでは知識の利用可能性(availability)は高くならない。私が主張してきた理論では,この知識の操作と再構成がなされないと,availabilityは高まらないということは言えると思います。
 じゃあどうやってこれを教えればいいのかといえば,すごく難しい。というか,積極的に活動へのinvolvementをどうやって支えるのかが難しい。最近,こっちに研究の興味が移り気味です。
 二郎さんにコメントしていて,最近の研究の問題が少し分かってきました。賢さ(頭の良さ)と対象へのinvolvement(当該研究では「関与」と言っています)の関わりも,少し考えてみます。どうもありがとう。

Posted by: nikata | March 23, 2011 at 09:01 PM

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