鈍けりゃ学者くらいなれらあ(3) 鳴かず飛ばず
大学院に進んだからといってその時点で「研究者」になれるわけではない。研究者も画家もスポーツ選手も、「デビュー」が必要である。画家なら公募展に入選することや画廊がつくこと、スポーツ選手なら大きな大会で優勝したり記録を更新したりである。研究者の場合、「論文が査読(審査)のある雑誌に掲載される」ことである。研究テーマが決まったら、あれこれ先行研究を読み漁り、新しい発見を導く実験や調査をする。その結果新たな事実が検証されたら論文にして投稿、度重なる審査を経てやっと掲載。大学院生の目標は、この1つにある。これがなければ学位も取れないし、研究者としての就職もないのである。
当然私もこの目標に取り組むことになる。なんと言っても勉強が嫌いなのだ。とうぜん「もっと勉強が楽になるように」、つまり教育の改善に貢献するべく頑張っていた。しかも当時は認知心理学の元気が良い頃、多くの院生が記憶だ視覚だと人間の頭の中の働きの解明に挑んでいた。私もその中の一人であり推論や問題解決といった「思考」の研究をしていた。そんなわけで、簡単には解けないはずの問題をわかりやすくしたり、その解き方を来週まで覚えておけるような学習はどうしたら支援できるかなどについて試行錯誤の毎日である。
しかし、成績の上がりそうな仕掛けを仕組んでも、実験に参加した参加者の成績は一向に上がらない。ついに修士論文では、手がけた実験のほとんどに期待した結果がでないという惨憺たる結果に終わる。その他の取り組みも、ことごとく失敗に終わっていった。同期の多くは、ここで分水嶺を迎える。期待した結果が出た院生は、そのまま論文を書いて投稿し、1年〜1年半の後に雑誌掲載、2〜3編の「デビュー」を果たせば博士になれる。結果のでない院生は同期に水を開けられ、焦りの中で研究をすすめることになる。やがて意欲を失うようになるとドロップアウト気味になっていき、ある者は進路変更を、ある者は研究の一線から外れていく。
ご多分にもれず私は後者のほうで、周りの仲間が次々にデビューを果たすのを悔しい面持ちで眺めることになる。また、ライバルが成功することは、自分の就職や業界での位置づけが不利な立場に追い込まれやすいことでもある。人間思い通りにならないときは品も何もあったものではない、成功を喜ぶ仲間を「いっそ死んでほしい」と嫉妬するようになるものである。そんなわけで、当時の私の友人といえば、利害が絡まない異なる研究領域の院生だったり、飲み屋で知り合った仲間だったりである。周りからしてもさぞ嫌な感じに見えたことだろう。毎日大学院に来ては、一人実験室に逃げ込み、ゼミの発表など〆切のある課題をこなす以外は、バイトの国語の先生のテキストをしこしこつくったり、日がなこっそりネットやゲームをしながら持て余した時間を潰していた。まあ要するに「崩れて」いたのである。
成功が勝ち取れない理由はいくつかある。一つは取り上げたテーマに問題があるとき。自分の興味だけで何か解明の目標を立てると、それ自体解明が困難だったりして袋小路に陥ることもある。あるいはあまりにも有名なテーマだったりすると、既にほとんどの知見が先人に解明されていたりして、新たな解明の隙間が残っていなかったりすることもある。もう一つは研究の目標自体に問題があるとき。あまり大きすぎる目標を掲げると、おいそれと数年では解明できないこともある。あるいは、解明の手法が確立されていないとか、事例がレアすぎて検証しにくいといったこともある。あるいは、結果の出やすいテーマと出にくいテーマもある。記憶や視覚の研究は、もともとの手法が結果の出やすい「敏感な指標」を使えたりする(だから先人も成功している)が、教育研究のように個人差や状況の要因が複雑すぎて、なかなかターゲットだけを操作できない時もある。このあたり、指導によっては回避できるものもあるが、研究する本人がかたくなだったりすると、みすみす指導の機会を逸してしまうこともある。
そこまで腐ってくると、せっかくの成功の種もうまく育てられなくなるようである。実際には私にも幾つかの「タネ」はあった。修士論文の失敗から「もう少し結果の出やすい方法」をすかさず考えて、それなりの結果を出してもいたのである。ただ周りに振り回されて、身が入らなくなったり、あるいは自分の目指す目標とずれていたりすると、せっかくのタネも良さが見いだせなくなったりする。また、その種に続く成功がなかったりして後手後手に回ることも多い。
結果として、私が初めて査読論文にトライしたのは、大学院の5年(いわゆる博士課程3年)の時、決して実績としては高いとは言えない小さな学会に、恐る恐る出した。帰ってきた審査結果もそう芳しくはなかった。思い余って先輩に相談し、論文の直しを徹底的にやられて再投稿。かろうじて採択を得た。今思ってもかろうじてだったのだが、それでもほんとうに嬉しかったことを覚えている。査読論文1本、その他の論文2本。現代なら確実に「ドロップアウト組」の業績だが、たまたまトライした大学の公募に奇跡的に引っかかる(それが今の大学)。首の皮一枚つながったことで、今があると思うと人生わからないものだ。
その後も鳴かず飛ばずは数年続いた。職について忙しくなり、次の「ヒット」がでなかった。焦りからkる神経性胃炎に苦しみ、不眠と抑うつが頭をもたげかけた頃、ひょんなことから後輩のサポートを得て、古い「タネ」に新たな実験を加えて、これが存外のヒットになる。かくして大学院に入って10年目、師匠の定年退職にギリギリ滑りこませる形で博士の学位をとった。正規の年限からすると2倍かかった。
本当に腐りかけて辞めようかと思った大学院6年目、師匠は「続けていれば必ずうまく行くことがあるから、腐らず毎日やれることをしなさい」とアドバイスした。思いとどまって踏みとどまった1年、金がないのと周りに向ける顔がないことにはとんと閉口したが、職だけは得た。職について悩んでいたとき、やはり師匠は「先生らしくなりました、どんな小さいことでも研究を忘れないと、もっと先生らしくなります」と2行だけのメールをくれた。
今思えば、周りと比べたり、先のことを思い悩んで手が止まるくらいなら、「知るか」と言い切って、好き勝手やればよかったと思う。鳴かず飛ばずの理由の半分は、実力の問題ではなく不安に負けてしまうことの問題である。とはいえ現代の大学院生、金や未来の不安から吹っ切れて生きて行くのも難しい。勢い自分の実力や運のことを常に気にやむことになる。多くの院生が、そこでドロップアウトしていくように思われる。
そういえば、私以外にスタートにつまづいたにもかかわらず、現在研究者として活躍している何人かの知り合いがいる。彼らに共通するのは、あまり見栄っ張りではなかったり、ある種の鈍さを持ったおっとりした性格だったり、協力と励ましを惜しまない家族や妻がいたりなど、どこか不安から遠ざかれる何かを持っている人たちだったりする。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。研究にはどことなくついてまわる至言のように思わえる。

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