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September 12, 2011

Enfance finie (その1) 青と緑の記憶

 先週は休暇をとって熊本まで行った。何度となく繰り返しているが,年を追うごとに熊本も新しくなり,私の方は離れている期間が長くなり,そろそろ青年期までの記憶が怪しくなってきた。年に2度熊本に帰省したとしても,もう100度はないのだ。
 今回,たまたまレンタカーを借りて動きのいい帰省となった。おまけに生家の方にも立ち寄ることができた。そこで,少しでも記憶をたどっておこうと,古い足跡をたどってみた。
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 熊本といえば阿蘇なのであるが,熊本市民にとっては同じくらい重要な「金峰山(きんぼうざん)」である。生まれた松尾町は,その中でも最も山に近いところである。なにせ頂上も同じ松尾町なのだから。多くの熊本市民はこの山を西側に見ることが多いが,私はほぼ南側からこれを見て育った。麓の山々は雑木林とミカン畑である。目の前には田畑と新興の住宅地,そして汽水域にさしかかる川幅の広い幾つかの川という,まあ「田舎」なのである。

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 そして十数年ぶりに隣町,小島(おしま)町へ。私の小さな頃,ここには小島幼稚園という小さな幼稚園があった。のびのび育てるというよりは,むしろ厳格な統制のところで,お遊戯,折り紙,ドッジボールなど,どれをとっても徹底的にやらされた覚えしかない。幼児の私には分からないのだが,お遊戯などは列一つずれることなく,動きも一糸乱れることなくというものだったらしい。
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 個人経営(先生すら姉妹だったのだ)であったこともあり,卒園して数年後に閉園。跡形もなくなっているのではないかと思われたが,建物を除き敷地は昔のまま残っていた。門もしっかり残っており,往時を懐かしむことができた。隣は醤油工場(濱田醤油)。昔は毎日醤油の良い香りがしていたが,今はそれなりに近代化されたらしく,昔よりうんと綺麗なところになっていた。
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 そこから程なく歩くと,小島河原とよばれる白川の下流域。この道の遥か向こう,2kmほどしばしば往復させられた。中には走って行く子もいたのだが,私はいつも後ろのほうでとぼとぼ歩いてきた。歩みが遅くて何度か叱られたことを覚えている。おそらくあれは強歩ではなくマラソンだったのだな。風景だけは良かったのだが,物がなしい記憶しかないのである。私は昔から,ズレた子供であったことは間違いない。
 もう少し海側まで走ると,あっという間に有明海である。生家から6〜7km程度なのだが,こちらまでほとんど来たことがなかった。10代になって,自分で遠くまで行けるようになったり,両親が車で行き来するようになったりしてやっと知った風景。海苔網と干潟のイメージの強い光景だが,今日はたまたま満潮で美しい青の海。遠くに雲仙や三角半島が見える。海の記憶は少ないが,この遠くの山はよく見知ったものである。下手をすれば阿蘇の山並みよりも馴染みが深い。
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 家の中で本を読んだり玩具で遊んだりの多い子供だったが,それでも小学校に上がって遊ぶといえば,山に分け入って竹を切ったり,それで釣り竿を作って鮒を釣ったり,藁束の中に飛び込んだりと「古き良き時代の子供」を地でいったものである。幸い生家の地域は,開発が遅れているのと,山の斜面が比較的急で開発しにくいこともあって,割に変わらない風景を見ることができる。


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