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September 09, 2011

過去の自分をいじるというSM

 ふと古い書類を整理していたら,10年前に大学に来た時の「新入教員紹介」が出てきた。

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大学の先生という「お仕事」
一般学科講師 荷方邦夫

 教わる人より「先に生まれた」、という理由で自分の知識や技術を伝える役割の人。それが先生の語源でしょうか。もっとも古くから存在する「情報産業」の一つかもしれません。生まれてこのかた30年、この先生という仕事と密接に関わってきました。両親ともに学校の先生で、長兄も先生。親戚にもたくさんの先生がいます。幼稚園から大学院までの25年間は「先生」のもとで勉学をしました。大学入学からの10年は、予備校や塾で国語や社会を教え、大学や専門学校の非常勤講師、はては合唱団やブラスバンドの指導者と、「先生」と呼ばれる世界ばかりを歩いてきました。大学で学んだ学問は「教育心理学※」、人生そのものが先生と生徒(学生)を見つめる毎日ともいえるでしょう。
 そんな男がこともあろうに美大の先生になった。果たしてどうなるのか?。蓋を開けてみると予想以上に多くの仕事があると分かりました。講義はもちろん、大学に関わる事務や運営、学生相談室のカウンセラーもやっています。さらには研究や著作、その他エトセトラ…。ひょっとして先生というのは「先(ま)ずは生きている」の略だったのかな?
 そんなこんなでバタバタした毎日を送っていますが、やはり中心になるのは学生のこと。どういう仕掛けで学生に知識を伝え、どうやって一人一人を理解し、立派な大人になろうとする君たちをサポートするか。そんなことばかりを毎日飽きずに考えています。
 もともと人が大好きで、人前にでることも大好き。小さい頃は音楽家や役者のような、ショービジネスにあこがれていました。その結果選んだステージが、教壇という場所。演じるプログラムは、心理学という人に関わる世界です。これからも、力の限り先生であり続けたいと思います。ともかくは、学生の皆さんより先に生まれたのですから。
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 そんなことを考えていたのか。確かに学校の機能として,「若い人を今より大人・市民にする」ということを念頭においているのは今でも同じかも。先生が「先ずは生きている」の略くらいに思っているのも変わらないか。でも10年経って,教員として生きることの位置づけにあれこれ理由をつけなくなったし,先生であることに努力を意識しなくなったことも確かだ。悲しいかな,今は何をしても先生にしか見えないという有様かもしれない。
 こんなのが出てきたのは汗顔の至りなのだが,どS なので,自分に対するサディスティックな行為としてまあご披露。

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