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March 12, 2012

教授のデザインと学習環境のデザイン

 土曜日は認知科学会の研究分科会「デザイン・構成・創造」(DCC)のイベント,デザイン激論会「デザインで社会進化をもたらす学のあり方を問う」に出席。認知科学会だけではない,建築学会や機械学会など工学系でデザインに関心のあるシンポジストが続々登壇。非常にエキサイティングな内容だった。

 ひとまずデザイン学の話は置いておいて,今回の話題は「教育」をどのように考えるかということ。理工系や心理学の大学院教育を受けた先生たちのかなりが考えているのは,「教えることはできない」ということと,「潤沢な学びの資源を用意することはできる」ということ。みなさん恐らく有名な大学の昔ながらの院で,先輩や先生との共同体の中で自ら研究をしてきた人なのである。自分のやりたいことを実現するために,そこにある資源を活用して偉くなってきたわけですね。クレイクがいう「学習における環境支援仮説」などにも通じる視点なのである。
 これに対して,現在の大学改革の潮流は,「どういう教材を用意するか,どういう評価をするか,何を持って指導内容とするか」といった教授方法に目が行っているものが多い。学生なんてほってほけば遊んでばかりで勉強の方法すら分からないだろうから,こちらできちんと用意しよう。という立場。政治にせよビジネスにせよ,どちらかというとこういう「カッチリ決まった」方がしっくりとくるのだろう。また,環境を潤沢にするには,ロスも含めて相当のコストがかかってしまう。これは先の行政やビジネスの視点とはかなり相容れない。この辺りがアカデミックな世界にいる人と違うところにいる人とのズレを生み出していよう。教授のデザインと学習環境のデザイン。インストラクショナル・デザインとかラーニング・サイエンスとかでごっちゃになっているが,きちんと分けて考えないとかなり性格が違うなあと。

 デザイン学という世界を考える時,彼らに共通しているのは,デザイン学という分野が「ないも同然」という視点に立っていること。これは多くのデザイン系の大学にはかなり痛い話でもあろうが,いわゆるアカデミックな素地に立つ学問としてはまあそうなってしまうだろう。反対に,これが学問として成立するところは,デザインの「現場」はかなりねじれた位置にあるようにも見える。多くの現場のデザイナーに彼らの話はまず「なくてもいいです」くらいに映るはず。まあそんな感想も。
 その中で,建築という世界は学術的な理論とデザインとしての実践が比較的うまくフィットしているなあと思われた。むしろ他の世界に比べても,理工的な制約を満たさないとデザインも成り立たないというか。この辺りにデザイン学のブレイクスルーがあるのか,いやいやむしろここ以外を何とかしないとブレイクスルーが出ないのか。そんなこんなで面白い会であった。

 

 

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