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July 23, 2012

世の中が全て自分のものにならないことの微かな悲しみ

 小学生1年生の頃(そして結構後になるまで),1km程の通学路。毎日少しずつ違う位置で歩いた。右端を歩いた日の帰りは,靴一足分の幅ずれたところを。次の日はまた一足分ずらして。いつかその道を隙間なく自分の足あとで埋まるといいなと思いながら。そして,地球上のすべての表面を,自分の足あとで埋め尽くせるといいなと思いながら。どこまで歩いても,何となく「隙間」ができてしまうことをうすうす感じて,ああ,きっと何かを完全にやり切ることは一生ないんだなぁ,残念だなあと思うようになったのも,またその頃のことだった。
 今になってみれば,「コンプリート願望」とてもいうのだろうか。何でもコンプリートを達成してみたいものだ。しかしどんな小さな事でも,とかくコンプリートは難しい。世界中のお酒を全部飲んでみたいというのも叶わぬ願いだし,Facebookやtwitterでみんなが行ったあちこちの店のメニューを食べつくすことも能わず(あたわず)。隙間なく埋め尽くすように何かを自分のものにするのはできないものだと思う。
 これが,自分自身ですら可能ではないことに愕然とする。これまで自分で集めたCDなどの音源も,既に手元になく取り返せないものがあるし。書いた著述すら,すべてがハードディスクの中に入っていてもいいので,かなりはPCの更新の際などにこぼれ落ちていたりするのである。
 そう思えば,モーツァルトやバッハの作品を集めた学者も,「全著作集」を編んだ編者とか,その努力に頭がさがるのである。隈なく探すなんて,なかなかできるものではないのだから。
 かくして人は「己が有限であること」を痛いほど思い知ることになるのであろうか。

Blog287

 仕事場の2つの机と本棚。授業用の資料になりそうなものが座右に。すっかり「研究者用」の机というより,「先生用」のレイアウトになっている。とうぜん,世界の知識がここにコンプリートをされているにはほど遠い。それでもこの研究室の中で,数百万円分の図書があるはずなのだが。


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