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May 13, 2013

「美術の時間は楽しい」ことは諸刃の剣か?

 土日に,21世紀美術館で開催された美術教育研究のイベント「中学校美術Q &A in金沢」。全国の美術教育に携わる先生が集まり,実践と思いを共有しあう場として開催されている。また,学校教育の中で美術の位置づけが揺さぶられている(美術が選択になりそうだったり,そもそも要らないと言われたり)ことに対して,ぜひぜひアクションを起こしましょうよという声を大きくしていこうという会でもある。
 北陸を中心に若い先生からベテランまで,素晴らしい実践が報告される。学校教育の実践報告というのはともすると,「上手く行った,素晴らしいものができた」ことが強調されたり,ひたすら「熱い」思いが語られたりすることも少なくないが,報告された実践には深い理論に裏打ちされたものや,丁寧な結果の分析が含まれているものもあり,示唆に富むものが多かった。それ以上に,これほど意欲的に,周到に,そして考えて美術を教えようという先生がたくさんいることに強い感銘を受けた。
 もちろん「夜の部」も盛況。飲み会が成功する研究会は,良い研究会である。初めて参加した会なので,多くの新しい先生と意見交換。非常に収穫の多い時間だった。

 その中で思ったことを以下に。
・美術教育に関するほとんどの会,そして最も基本となる意見と合意は「美術は基本的に楽しいものである」「児童・生徒は美術の時間が好きである」。だからこそ学校教育の中からこれを奪うわけにはいかないというコンセンサスである。美術が苦手で仕方がなかった私ですら,この意見には全く賛成で,このコンセンサスに異論を挟む余地はない。しかし,ひょっとするとこの「楽しさ」というのが,「美術は学校の教科としてはいらないんじゃない?」と言われる最大のポイントなのではないかと考えた。
 それがどのくらいのウェイトを占めるかどうかは定かではないが,学校というものは「したくもないことをやらされるところ」であり,「苦しさや辛さを伴うことを余儀なくさせられる」ところという印象は少なくない。教師や生徒といった当事者以上に,学校を離れてしまった「一般の・普通の」人,社会といったものはここから話を始めることも多い。確かに,数学や英語を「楽しい」と思って勉強する生徒がどれだけいるだろうか。だからといって,これが教科から外せという声があるだろうか。
 むしろ,「ちっとも楽しくないけれどやっておかなければならなそうなもの」だから,無理矢理にでも学校でやるべきだと思われているところがあるのではないかと思う。楽しいものだったら,学校で無理にやらなくても,いくらでもやる人がいる。自分でお金を出して学ぼうとする人もいるだろう。学校で楽しいことをやるというのは,学校のイメージからして無駄に見えかねないのである。
 学校でやることは,自分に役立つこと。社会に有為なこと。この実用的(pragmatic)な発想は必ずしも好きではないが,数学や英語の例を挙げるまでもなく,学校教育は日本人が身につけておきたい力の獲得を支援するという視点から考えても。美術教育に携わるものはここを押さえておくべきかなと思った。
 これからの社会,科学技術がゆるやかなカーブを描くようになり,発展途上国が力をつけてきた今,感性とか,美しさを追求できるとか,そういうコンテンツで勝負することが絶対に必要になる。その時,一番の力となるのは美術を含めた芸術である。これから先,美術できないと差がつきませんよ,稼げませんよ。ちょっとイヤラシイけど,人はそれで動く気がしないではない。

・研究会の中で印象に残った言葉。一つは美術の振興をする時,それが「文化」であることを強調するという意見。そう,日本がこれからも世界の中で重要な役割を果たそうとする時,「高い文化」を維持できなければならないということをもっと言わなければ。
 また,学校教育がその根底の中に置くべきものとして,「安心」と「没頭」を提供することであるとした東大の秋田喜代美先生の主張は本当に共感するものである。学校は「子どもたちに失敗することを保障する実験と探索の場」というワルトフスキーの主張などにも共通するもので,芸術もその場の一つだということはやはり大事にしておきたい。

 そんなわけで,非常に楽しかったのである。

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Comments

う〜ん、少し考えさせられますね。確かに僕も日本で学校に行っていた頃はほぼすべての教科で苦しみました。一番苦しんだのは数学と国語かな?英語は中学まではまあそれなり。一年の留学を経て高校では楽をしましたが楽しみもしませんでした。そういう中で美術はそういえば苦しむ事はなく、むしろ楽しんだ方ですね。

おそらく同じ理屈が音楽でも通ると思うのですが(まあ音楽も広い意味で美術、もしくは芸術か)でも僕は音楽は苦手な上に苦しみました。これはある程度は教え方、もしくは試験の仕方によるのでは?という気がします。美術という教科はどうしても評価が抽象的になり、その為に一定の事をすれば悪い点数がつく事は普通はない。それに対して音楽は例えばピアニカの試験とかという明らかに練習が成績を左右する事があるのでそれが僕は多分、嫌だったのだと思うのですね。これで僕は苦しんだ記憶があります(まあただ単に言われた事をするのが嫌いだっただけなのかもしれませんけど)。

もう一つ面白いな、と思ったのが学問と実用的という関連。僕も実用的という理由で学問を教える、という考え方にはあまり賛成できません。高等教育にいて思うのはそういう実用主義に走ると応用のできない学生が出る、という問題もありますし、教育という観点からも何か間違っている様な気がしてなりません。しかし、根底としてはある程度の実用性がなければならない、という事実もあります。

それをふまえて今の日本(やアメリカ)での理科離れもなんとかならないか?という気もします。理科離れの理由の一つとして「理科が将来役に立つと思う」と答えた子供の数が少ない、という事。これも似た様な理屈からのアプローチはどうか?と思うのですね。その一つが理科の授業の中での実験であり、デモンストレーションであり、という気はします。おそらく潜在的に理科を嫌いではない、もしくは理科を好きになれる子供の数は少なくはないのですがそれを授業の内容だけで教えていれば面白くないし日常生活からあまりにもかけ離れているので興味もない。でもそれが実際にどのように役立っているのかを実際に肌で触れる様にすればもっと子供たちの興味がわいてくるのでは?という気がします。

数学でも似た様な事が言えるのかも知れません。例えば高校で微積分を習った時、いったいそれが何の役に立つのか僕はさっぱり理解できませんでしたが、大学で物理学を取ったらなるほど、と思いました。また、logも何の為にそういう事をするのかわかりませんでしたがこちらもpHや吸光計などのメーターを見ればすぐにどうして重要なのかの理解ができました。そういう「実用的な」事を教えるのも悪い事ではないのかもしれません。

Posted by: 二郎 | May 15, 2013 09:39 PM

>二郎さん
 音楽と美術はもう全く違うタイプの芸術ですね。美術が最初から「ある程度自由で構わない」のに対し,音楽は再現芸術でその瞬間の再現性が問われる。もちろん美術にも「上手い下手」が問われますが,一瞬のミスがよく分かるのは音楽ですね。数学でいえば計算や証明みたいなものです,
 それでも,どこかでその「美しさ」とは「良さ」みたいなものがわかると,その領域への関心も魅力もうんと増えます。学問であれ研究であれ,そういう美しさや良さを一旦感じると,たいてい半永久的に受け入れてもらえますね。
 実用的かどうかも「良さ」の一つなのでしょうが,それだけではやはり弱いというところにポイントがある気がします。論理とか,技術とか,そういう研究そのものがもつ美的感覚まで到達できるといいですね。そしてわれわれがそれを見せることができるようになれば万々歳です。
 二郎さんがやっている科学ショーは,そういう側面をよくとらえていると思います。美しいし,魅力的です。

Posted by: nikata | May 19, 2013 02:41 PM

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