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April 28, 2015

ニコニコ超会議2015雑感

Blog376
 日曜日に,最近関わっている「共創的イノベーション」の参考としてニコニコ超会議に赴いた。普段ニコニコ動画のお世話になることも少ない立場だが,中高生から大人まで十数万人が足を運ぶイベントの熱気に大きな影響を受けたので,備忘録的に感想を。

◯動画配信サイトの看板が網羅できない民主性
 携帯電話が進化し,やがてスマートフォンに置きかわる中で既に電話としての機能のウェイトを失っているように,ニコニコ動画が動画配信サイトとしての機能から明らかに脱却していることははっきり理解した。参加者が配信したいのは,動画ではなく自らが作ったモノやコンセプトの表現であり,欲しいのは自らへのフィードバックである。
 同じ動画配信サイトとしてはyoutubeがあるが,こちらはむしろ古典的な機能を色濃く残しているように思う。その違いは,「画面に直接コメントが書き込めるという,表現への同期性」なのかと思う。本当にその一点に集約される小さな違いなのだが,それだけでこれほどこれらのサイトに集中する情報の性格が変わっていることは見逃せない。
 誰もが配信という形で表現を行い,誰もがコメント書き込みという形で表現を重ね,それぞれの思惑を超えて蓄積されるというのは,極めて民主的な行為だと思う。その上,見えない「お約束」がそれぞれの大きな逸脱を管理する。ニコ動の中ではまだまだ炎上や煽りが発生しかねない匿名性がある。今回超会議にリアルで参加した参加者はその匿名性を剥がした立場として登場している。結果として,とても礼儀正しい振る舞いになっているなあと思った。これは本当に理想的な民主制の中にあることを意味している。
 既にニコ動,そしてその総会としての超会議は,動画サイトからの発展というところから離陸していると思った。それは携帯が,情報端末という存在を既に超え,人間の認識から行為まで網羅する媒体として離陸しているのに一致している。
Blog375


◯ボトムアップ型思考ととトップダウン型思考の,「わりと分かりにくい」隔絶
 超会議に参加しながら,私にわかりやすく説明をしてくれたWさんによれば,参加者の増加にともなって,企業系の出展と個人の出展・参加ブースがゆるやかに離れたところになったという。企業系の出展が自前の売りとなるコンテンツやテクノロジーを「ほーら」と見せているのに対し,個人を中心とした出展は,「とりあえず〜やってみた」という自発的(スポンテニアス)なトライアルである。「ほーら」系の出展がトップダウン型の志向性をもっているなら,「〜やってみた」系の出展はあくまでボトムアップ型の志向性を持っていると思う。よく出来たブースではなく,なんとも手作り感・インディーズ感の漂うところにそれがよく現れていた。
 これほど大きなイベントで,それぞれに人が集まると,やっている側にとってそれは成功にしか見えなくて,みんないい気分になれるものである。ただ,トップダウン型の志向性を持つ活動は,その意図のどこかに今後のビジネスへの波及効果とか,新たな価値のある可能性のリサーチといった「お役立ち」への目論見がどこかにある。その意味で彼らは民主的というより,保守的・中央集権的な性格を強く持っている。
 これに対してボトムアップ型の活動は,やってみるだけでまずはOKであり,フィードバックが来れば次もがんばる動機になるし,面白ければ,受けが大きければそれでいいことになる。だってビジネスじゃないから,リターンをうるさく言わなくもいいから。持ち出しで誰も文句は言わないから。
 これほど賑わっている成功したイベントだと,その2つの差は本当に見えにくい。しかし前者と後者の間には,参加者のタイプの違いがうっすらと見える。トップダウン型の活動には,ニコ動を目的的に商業的に利用する「大人」が,後者にはどっぷりニコ動に浸り,文化として参加する「若い人」が参加しているように思われた。
 たとえば個人の出展・参加の多いブース側に,中学生や高校生比率が多いように伺われたが,インディーズ感の高い方に彼らがなびいているのは,何かを意味しているように思われる。

◯民主的活動の許容すべき「甘さ」
 上の2つから引き出せるのは,超会議の特徴は「民主的制度」と「手作り感・インディーズ性の高いボトムアップ型活動」というキーワードかもしれない。それ以外の部分は,これまでの企業系イベントの特徴でもある。その意味で,コミケといったイベントはこれらの特徴と一致するが,カテゴリが極めて限局的だったり,対象が限局的だったりと外への波及性,ネットワークの強さに自ずと限界があることも指摘できるだろう。
 「〜やってみた」という動機から誰もが活動に参画できる超会議は,とうぜんトップダウン型のイベントと違い,インディーズであるがゆえの「作りの甘さ」も内包することになる。これは主催する側も意識しているようで,それぞれの企画を紹介するポスターは,まるで高校の文化祭のようにふんわり甘くつくられるようコードがあったようである。
 企業やオフィシャルな組織は,プロダクトのクオリティの高さが重要であり,その追求のためには強力なガバナンスも厭わない。その意味でトップダウンであることを必然的に求められる。「甘く」てはならないのである。
 しかし超会議の可能性は,民主的な参加からもたらされるクリエイションにあるかもしれない。作りが甘くても,それが何かのきっかけを持つなら,後はひとりでに進んでいくような。むしろその甘さを許容しておかないと,共創的な進化は期待しにくい。
 またその甘さは,次世代を担う若い層にとって,自分でもその活動に参加してもいいのだというハードルの低さも提供しているように思う。おそらくインディーズから入る人たちは,その文化の中で成長し,クオリティの高いクリエイションへの十全的な参加をやがて獲得する。その意味でも,甘さをもつことは重要なファクターであるように思う。だからこそ,トップダウン型の志向性は超会議の中で微妙なソリの違いを呈することになるのではないかと。

 超会議はこれからもしばらくその勢いを保ち続けるだろうと思う。そして超会議のシステムが大きくなることに伴い,システム自体の変更も求められるだろう。その時,トップダウン型のマネジメントを利用した組織化,構造化がドミナントになるとしたら,そこがシステムのターニングポイントになるだろうと思う。どこまで「甘く・民主的なシステム」でいられるか。そこに興味を感じる一日であった。

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