« デジタルコンテンツ時代における,新しい「ドルトンプラン化」。 | Main | デザインのオリジナリティとは何か? »

July 01, 2015

プラハ放送交響楽団コンサート 

プラハ放送交響楽団コンサート 指揮オンドレイ・レナルト pf.フジコ・ヘミング 

 モルダウに新世界,それをチェコのオーケストラが演奏するという極めてベタなプログラム。しかもピアノがフジコ・ヘミングでショパンの1番。最初からフジコは「ラ・カンパネラ」をやるよ〜というとっても俗っぽいコンサート。聞くと細君はフジコ・ヘミングは好きなのだという。だったら行きましょう。
 会場は金沢歌劇座。旧金沢市観光会館という,大きな都市にはどこにでもある多目的市民会館。歌劇ができるようにと手は入れてあるが,公演会数は県の音楽堂とは大きく差がある。気軽に聴くとしよう。
 プラハ放送交響楽団と指揮者のレナルトは相性のいい組み合わせのようだ。全体の感想としては,大らかでメリハリのはっきりした演奏。ところどころでミスもあるし,前のめり気味の入りで途中はわりと好きにという感じ。あら探しの好きなファンなら格好の標的だが,楽しそうだしやりたいことがはっきりしていて聴くこちらもリラックスできる。
 モルダウはキビキビしたところはキビキビと,流麗なところは流麗にというポピュラー音楽のような味付け。レナルトは演奏者一人一人の個性は自由に任せているようだ。印象に残ったのはヴィオラの第1奏者。コンサートマスターか?とツッコみたくなるような大きな動き。特にヴィオラはそれに見習うようにみなさん大きな動きである。弦に比べ管は細かなミスがところどころにあるが,それはそれで好きにしている感じ。
 さて,肝心のフジコ・ヘミング。ショパンの1番もどちらかという俗っぽいコンチェルト。彼女はかなり個性的に弾いている。指揮者がピアノにしっかり追随しようとしているのがよく分かる。彼女もまた,オケと合わせようとする動作がはっきり分かった。テンポが揺れるどうこうというより,ひとまとまりの楽節それぞれの間にちょっとした間が入る。晩年のバーンスタインの「悲愴」のようだったりする。
 彼女は,こう弾きたいというだけでなく,自分で聴きたい音があるように感じた。ところどころの音で不用意にさえ思えるほど強調されるところがある。歌劇座の惜しいところというか,オケとピアノのバランスがちょっと悪いというか。アタックの金属音などがそれではっきりと聴こえたりして,もう少し一つ一つの音を聴きたかったなあと思った。アンコールは予告の「ラ・カンパネラ」とメンデルスゾーンの即興曲。こちらはしっかり聴くことができた。これも彼女の「聴きたい音」が強調された感じ。即興曲のアルペジオは割とどうでもいいのね。ラ・カンパネラは,明らかにゆっくり。途中であちこち間を作ってくれる。「ラ・カンパネラは,実はこう弾いています」という図解を見ているようである。超絶技巧を楽しむのもいいが,こういう一つ一つの音を聴くのもまた面白いものではある。
 ドボルザークの9番は東欧のお家芸。それだけでなくどこで聴いても楽しく聴けるありがたい曲。チェコ・フィルやN響は,ちょっとくすんだ感じの弦が印象的なのだが,プラハ放響は明るい輪郭。これもキビキビと元気に演奏する。やはり2楽章などは残心を感じる余韻が欲しかったり個人的にはあるが,それぞれの鳴りは良くて「どう?いいでしょ!」と聞かれているようだった。うん,いいですよ。ポップス・オーケストラのようなメリハリは,このオケの一番の個性のように感じられた。指揮のレナルトも「こうしましょう!」というはっきりした感じがあって,なるほどこういうのが好きなんですねと納得。
 アンコールはスラブ舞曲の15番。指揮者がニコニコして,みんなもニコニコして駆け抜けておしまい。

|

« デジタルコンテンツ時代における,新しい「ドルトンプラン化」。 | Main | デザインのオリジナリティとは何か? »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference プラハ放送交響楽団コンサート :

« デジタルコンテンツ時代における,新しい「ドルトンプラン化」。 | Main | デザインのオリジナリティとは何か? »