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September 19, 2015

それでも明日は来るだろう。風の変わる日も来よう。

安全保障関連法案が可決された。いずれ予想されたことではあるが残念。それもまた民主制。

私はといえば実に哀しい。20歳になってこのかた、選挙には必ず足を運び、多くの場合時の政権政党ではない党に投票してきた。政権政党の政策に反対もし、時に理解もしてきたが、多くは反対の意思表示だと思っていた。とはいえ、昨今の野党の政策を支持していたわけでもない。野党だってヒドイものなのだ。ただ、それならば簡単に問題ある政策が可決されないように「与野党伯仲」をせめて良しとしてカウンターパートにいたとも言える。それも果たせず、自国の安全保障の維持とは必ずしも一致しない集団的自衛権の行使を、かつ不安定な状態でしか運用できない形で許したことは痛恨でもある。
もっと哀しいのは、こういう時になってはじめて声を上げるような社会を容認してきたこと。20代の10年は公民を教える役割も担い、民主政治や日本の憲法、社会制度もきちんと教える努力をしてきたつもりだった。しかし若い人を投票に行くよう促す力としては弱いし、政治的態度を持たせるような知識を(受験に必要な程度以上には)持たせられなかったことも悔やまれる。
「かしこい市民」を育てるのが教育の目的である。学校教育とその教育内容は、いまでもその目標に応えるべき内容になっているとも思う。しかし私の後悔は、つまるところ私に関われる範囲での教育の敗北とすら感じさせる。もっと手間暇をかけて、時間と工夫をかけて教育に携わるべきであった。
その意味で、今日は新しい一歩の始まりでもある。一個の市民として、教育に携わるものとして、これからもやるべきことはある。それは政策の是非を教えるような「間違ったこと」ではない。自ら見識を身につけ、個人として熟慮を伴った判断ができるという人を育てるということだ。すべての人が、「良き市民」として社会と関わることができる日まで。

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