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September 02, 2015

わが子が目の前に来て36時間。

Blog379

皆さんからたくさんのお祝いや励ましのコメントをいただきました。一人一人へのコメントの代わりに,改めてのご報告をします。

 ずっと大きなお腹の中にいた人が,いま目の前にいる。そうか,君はそういう顔だったんだね。
 9月1日というキリの良い日に,元気な女の子が生まれてきた。波のように押し寄せる陣痛を受け止める細君の横で,ずっと腰を押し続け,6時間半かけてズルズルっと生まれてきた。頭が見えてからものの数分。足まで出てこないうちに元気に産声を上げた彼女は,生まれて時からしっかりした顔をしていた。お母さんのようだったり,お父さんのようだったり。まあ2人の手によるものだとよく分かる。

 生まれたら感動するよとか,ベタベタに溺愛しそうと言われるが,そうなるとしたらやはり時間がかかりそうだ。生まれてきた瞬間は,おーよくがんばったね。こんにちは,元気だね。ようこそ。お母さんもよく頑張りました,どうぞよろしく。何だか新入生に初めて会う先生のようだ。自分のものという感じはなくて,生まれた時からやはり一個の人格として存在すると思う。父というものは,母と子の濃密な関係(ディアーデ)の中に初めて割り込む「他者」だと言われるが,まさにそんな感じがする。聖母子に割り込む男性像のようだ。

 泣き止むのも割と早いし,穏やかな顔をしている。さしあたり気難しそうでもない。こめかみ辺りを触られるのが好きなようだ。なるほど,君はそうなのか。お父さんにずっと抱かれていても嫌そうではない。新生児はそうだとわかっていても,やはり嬉しいものである。
 把握反射あり,口唇探索反射あり。普段教えている授業のまんま。当たり前すぎてホッとする。見るだけで笑えてくるし,笑顔になって仕方がない。なんと無防備な,なんと弱い,そしてなんと強い。まずは無事なようで本当に良かったよ。月並みな幸せではあるけど,その月並みなことが本当に良かった。
 
 細君との検討の結果,名前は美咲子(みさこ)になった。今風の名前はあまりしっくりとこない。女の子が生まれたら最後に子がつくように,男の子が生まれたら「お」がつくように。それが第一の合意。「咲」という字が何かとよろしいという判断になり,これを基本とするのが第二。あとは字画とか語感とか人間関係のああだこうだとか周到に検討。最終候補から絞りこまれた。 
 美しく咲いてほしいという意味も良ければ,優美な語感もよろしい。読み方も間違われないだろうし,自分で漢字を書くようになった時もさほど困らないだろう。そしてあなたの顔にふさわしいと思うよ。あとは自分で名前にそぐわしい人になってほしい。

 金子光晴が孫の誕生に際してつくった「若葉の詩」という一連の詩がある,長いこと好きな作品だが,まさにその通りだ

 小さなあくびと 小さなくさめ 
 それに小さなしゃっくりもする 
 君が 年ごろといわれる頃には 
 も少しいい日本だったらいいが 
 なにしろいまの日本といったら 
 あんぽんたんとくるまばかりだ 
 しょうひちりきで泣きわめいて 
 それから 小さなおならもする 
 森の若葉よ 小さなまごむすめ 
 生れたからはのびずばなるまい (森の若葉 抜粋)

 若葉の詩と同じく,美咲子よ,来年は海へ行こう。いや,お父さんと一緒にどこにでも行こう。お父さんと一緒に動物になり,風になり,本になり,そして人になろう。
 生きる限り,この世界が美しく,知に充ちあふれ,生きる甲斐があることを,一緒に経験しようね。
 
生まれてまだ一日と半分。父として残念なことは一つ。君に顔を近づけると,老眼のせいでかえってディテールを見られないことだよ。20センチの距離から,美咲子,君をずっと見守ることにしよう。


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