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February 05, 2018

汝の雪(敵)を愛せよ

Blog384

 暖冬傾向もあって今年のような雪の多い年もそうそう多くはないが、北陸はやはり「雪国」である。音もなく夜の間に深々と降り、膝まで雪に埋まるなんてことも時にはあったりする。車を雪から掘り出し、家の前の道を除雪するのに1時間以上ということもある。長年住む近所の人と、「またたくさん降ったねえ〜」「ほんとイヤ〜になるぞいね」など、雪にはうんざりという会話があちこちでされる。まとまった雪がひと冬に数度もあれば、市や県の除雪費用もかさみ、財政を圧迫する。真っ白に覆い尽くされる景色の美しさとか、スキーやスノーボードなどウィンタースポーツの面白さもあるが、雪国にとっても雪は「そこにある重荷」である。
 金沢に住んで16年になり、そろそろ故郷よりも長い暮らしになる。多分まだまだ地元の人より不慣れなかもしれないし、向かい合い方も足りないかもしれないが、すっかり身近なものにはなった。そして、いつまでたっても「嫌だ」という気持ちにはなれない。雪かきで身体を酷使されても、渋滞に難儀しても、雪はまさに北陸の象徴であり、北陸の欠かせない色彩であり、思考や発想の原点だ。
 おそらく、関東から金沢に移り住む時、私は雪と契約を交わしたのかもしれない。ようやく職を得て赴任した時、いかに雪深かろうと文句は言わないと決めた。何よりこの職なくして先はなかったし、流れ着くこの地の風土を嫌って、他に生きる道はなかった。幸い関東時代に始めたスキーと、南国出身の物珍しさがこの16年を支えた。引き継ぎの日も結構な雪だった、それから人生の節目となる何度かの出来事も、やはり深い雪の日だった。だから不便であっても、やはり憎めないのが雪である。

 紫の ひともとゆえに 武蔵野の 草を見ながら あわれとぞみる(古今和歌集)

 あんな草深い東国になぜいるのか?それは紫の草がただ一本美しいというその理由なのだというのが、古の人の視点。さしずめ北陸なら紫のひともとは真白なる雪である。あと2月もすると金沢にも少し遅れて春が来る。至る所で桜が咲き、金沢の背後に控える山を借景に雪のように花びらが降りしきる。あの鮮やかさがまた見たくて冬を越していく。また今日も、降り積もる雪を見ながら、容赦なくのしかかる雪を幾度となく除雪しなから、「あわれとぞ見る」のである。

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