鈍けりゃ学者くらいなれらあ(4) 余技で食ってる研究者たぁ俺のことだ
不器用なたちである。ボタンを付けようとして,玉結びはできるが玉止めはできない。仕事でちょっとできた合間に小さな雑用を入れることができない。不器用さをあげればキリがないが,それでも私にしばしばついてくる評価は「器用」である。町内会の規約を改訂したり,ちょっとした酒肴を考えだしたり,バーの新しいカクテルのコピーを考えたり,ママさんコーラスの先生になったり。やれと言われればまあ出来る。
もちろんどれをとってもその道のプロには敵わない。でも,まあサマになる程度までにはなんとか仕上げる。何というか,宇多田ヒカルを呼ぶとカネがかかるから,ミラクルひかるを呼ぶようなものである。呼ばれたミラクルひかるは松浦亜弥も倖田來未もできるというんで,重宝されるようなものか。私の「器用」はそんな感じに近いかもしれない。
モノマネの人は本業だが,私のできるこの手の仕事は「余技」のなせる技である。大学院の時も大学の時も,とにかく「本業」が嫌いだったのだから。それらをかわす方法はどこか別のところに力を注ぐことである。いや,実際脇道にそれるのは,中学高校の頃からだったように思う。
中学でテニスが恐ろしく下手だった時,夏はコーラス部に出稼ぎに行った。当時(今でも)名門だった母校は,その時も全国大会の銀賞だった。助っ人なのに全国のレベルと呼ばれるから調子にだけ乗れていい気なものである。高校でブラスバンド,一番下手くそな初心者で苦労した。1年生の時腕を折ったのを良い事にまたグリークラブへ出稼ぎ,高校総合文化祭の全国大会へ行った。行けたのは先輩の力。今回も美味い汁を吸った。ついでに一般のオペラグループにも所属した。本気になって頑張っていた人には叱られるかもしれないが,見せてもらえる現場は同じ。誰よりもできないのにレベルの高い現場を見て,妙にものの分かった若手に育つのである。
こういう活動は「余技」の部類なので,「いつでも辞められる」という気軽さもある。一生を賭けると思えばおいそれとこうはいかない。しかし,それゆえ気軽に没入できて,意外と長く続いたりするものでもある。
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