September 29, 2011

鈍けりゃ学者くらいなれらあ(4) 余技で食ってる研究者たぁ俺のことだ

 不器用なたちである。ボタンを付けようとして,玉結びはできるが玉止めはできない。仕事でちょっとできた合間に小さな雑用を入れることができない。不器用さをあげればキリがないが,それでも私にしばしばついてくる評価は「器用」である。町内会の規約を改訂したり,ちょっとした酒肴を考えだしたり,バーの新しいカクテルのコピーを考えたり,ママさんコーラスの先生になったり。やれと言われればまあ出来る。
 もちろんどれをとってもその道のプロには敵わない。でも,まあサマになる程度までにはなんとか仕上げる。何というか,宇多田ヒカルを呼ぶとカネがかかるから,ミラクルひかるを呼ぶようなものである。呼ばれたミラクルひかるは松浦亜弥も倖田來未もできるというんで,重宝されるようなものか。私の「器用」はそんな感じに近いかもしれない。

 モノマネの人は本業だが,私のできるこの手の仕事は「余技」のなせる技である。大学院の時も大学の時も,とにかく「本業」が嫌いだったのだから。それらをかわす方法はどこか別のところに力を注ぐことである。いや,実際脇道にそれるのは,中学高校の頃からだったように思う。
 中学でテニスが恐ろしく下手だった時,夏はコーラス部に出稼ぎに行った。当時(今でも)名門だった母校は,その時も全国大会の銀賞だった。助っ人なのに全国のレベルと呼ばれるから調子にだけ乗れていい気なものである。高校でブラスバンド,一番下手くそな初心者で苦労した。1年生の時腕を折ったのを良い事にまたグリークラブへ出稼ぎ,高校総合文化祭の全国大会へ行った。行けたのは先輩の力。今回も美味い汁を吸った。ついでに一般のオペラグループにも所属した。本気になって頑張っていた人には叱られるかもしれないが,見せてもらえる現場は同じ。誰よりもできないのにレベルの高い現場を見て,妙にものの分かった若手に育つのである。
 こういう活動は「余技」の部類なので,「いつでも辞められる」という気軽さもある。一生を賭けると思えばおいそれとこうはいかない。しかし,それゆえ気軽に没入できて,意外と長く続いたりするものでもある。

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August 15, 2011

鈍けりゃ学者くらいなれらあ(3) 鳴かず飛ばず

 大学院に進んだからといってその時点で「研究者」になれるわけではない。研究者も画家もスポーツ選手も、「デビュー」が必要である。画家なら公募展に入選することや画廊がつくこと、スポーツ選手なら大きな大会で優勝したり記録を更新したりである。研究者の場合、「論文が査読(審査)のある雑誌に掲載される」ことである。研究テーマが決まったら、あれこれ先行研究を読み漁り、新しい発見を導く実験や調査をする。その結果新たな事実が検証されたら論文にして投稿、度重なる審査を経てやっと掲載。大学院生の目標は、この1つにある。これがなければ学位も取れないし、研究者としての就職もないのである。
 当然私もこの目標に取り組むことになる。なんと言っても勉強が嫌いなのだ。とうぜん「もっと勉強が楽になるように」、つまり教育の改善に貢献するべく頑張っていた。しかも当時は認知心理学の元気が良い頃、多くの院生が記憶だ視覚だと人間の頭の中の働きの解明に挑んでいた。私もその中の一人であり推論や問題解決といった「思考」の研究をしていた。そんなわけで、簡単には解けないはずの問題をわかりやすくしたり、その解き方を来週まで覚えておけるような学習はどうしたら支援できるかなどについて試行錯誤の毎日である。

 しかし、成績の上がりそうな仕掛けを仕組んでも、実験に参加した参加者の成績は一向に上がらない。ついに修士論文では、手がけた実験のほとんどに期待した結果がでないという惨憺たる結果に終わる。その他の取り組みも、ことごとく失敗に終わっていった。同期の多くは、ここで分水嶺を迎える。期待した結果が出た院生は、そのまま論文を書いて投稿し、1年〜1年半の後に雑誌掲載、2〜3編の「デビュー」を果たせば博士になれる。結果のでない院生は同期に水を開けられ、焦りの中で研究をすすめることになる。やがて意欲を失うようになるとドロップアウト気味になっていき、ある者は進路変更を、ある者は研究の一線から外れていく。

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August 14, 2011

鈍けりゃ学者くらいなれらあ(2) 英数が苦手だ

 学校が嫌いなわけではなかったが,きちんと黒板を向いて先生の説明を聞いたという覚えがない。小学校中学校の記憶は,窓の外か机の上の資料集。小学校の窓の外に広がる山のディテールは今でも忘れないし,授業とは関係なく眺めていた国語の物語文は暗記できるくらい覚えている。要は,授業に参加していたわけではないということ。面白いことに,社会や理科はそうやって資料集を暗記するくらい覚えれば点数は取れる。国語だって,ある程度は取れる。どうしてもダメなのは,数学と英語。これは「勉強」のたまものである。したがってずっとこれら2つが苦手である。点数がとれたのは,2度目の高校入試の時だけ。このときはさすがに両方とも満点だった。

 大学入試のとき,これはさすがにネックになった。数学はセンター試験だけ。半分は取れないと覚悟したが,たまたま好きな女の子に「これ解いて」と頼まれた問題がそのまま出た。これで選択問題のひとつを満点にし,かろうじて助かった。英語も国立大学に入るには惨憺たるものだったが,二次は単語を丸暗記し,勢いで400を超える構文と英作文の例文200くらいを丸暗記し,文法は置き去りにして合格した。第2次ベビーブームで,中堅の私立(日東駒専あたり)すら難化した時代である。よく合格したと今でも不思議に思う。良くも悪くも,理科や社会で満点を稼げること,国立大は受験教科が多く,得意教科で穴埋めが可能だったことが幸いだった。

 

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August 13, 2011

鈍けりゃ学者くらいなれらあ(1) 偶然の決断

 「先生は,なぜ心理学をやろうと思ったのですか?」
 時折訊かれる質問である。高校を落ちて一年浪人したニカタは,大嫌いな「勉強」ができないことが悔しくて,何とかこれを上手く学べないか知りたかった。聞きかじりの知識で何となく選んだ進路が心理学。このあたりは昔のエントリに詳しい。「では,なぜ大学の先生になろうと思ったのですか?」と訊かれると,こちらは非常に困ってしまう。学生の納得するような理由はないからである。

 大学に入学して,真面目な大学生をやったわけではない。多くの大学では,1年生はおおよそ教養の授業が多い。確かに面白い講義も多かったが,心理学とはほとんど関係のないものばかり。自然と興味は他にそれていった。2年生になって心理学の概論や英書購読も始まったが,もっと面白くなくなるばかり。英語は苦手だったし,それぞれの心理学の授業で面白いものは少なかった。サークルに塾講師のバイト,あとはできたばかりの彼女に費やすばかり。大学なんて,結構どうでもよかったのである。
 いや,どうでも良かったのは大学だけではない。就職も興味が薄れ気味だった。もともと高校の先生になろうと思って入った大学ではあったが,このころから教員採用試験の倍率はうなぎのぼり。自分みたいな不まじめな学生では到底受かりそうではなかった。勉強ができない恨みつらみは,先生になってできない生徒をきちんと教えることで晴らしたかったが,それも叶わなそうであった。当時はバブルの余波がまだ残る頃。就職の口はまだあったが,どれも興味のあるものではなかったし,世の中の歯車の中に組み込まれても,きっと上手く回れないだろうと思っていた。毎日ケアレスミスばかりの私が,経理なんかに配属されたらと思うと,もう恐ろしくて仕方がなかったのである。
 なんのことはない,今の学生にもよくいる「何かしたいけど,何もできなくて正面から向かわない」タイプなのである。ズルズルと,バイトと彼女に明け暮れながら3年4年になった。ただ,授業を欠席することは少なかった。当時の彼女が真面目な人で,毎日授業に行っていたから。学校に行けば彼女に会える。二人で朝を迎えても,朝早くから学校に出かけるのだからついていかざるをえない。日本の大学は,優秀でなくても出席していれば単位は大抵取れるのである。後に留年せずに卒業したのは,自分の努力ではなく,彼女によるところが大きい。

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February 14, 2008

道を誤った?

 ちょっと前のエントリで弁当のことに触れたが,わがお師様に早速取り上げられていた

>職業選択を誤ったのでは?

 いや,研究室に入る時に「君はアカデミックな顔をしているから,博士だな!」と決めたのは先生です...アカデミックな顔がどんな顔か,その先生の一言からはや13年,未だもって不明です。
Blog8
ちなみにそのころの顔。23歳くらいでやはり若い!

 それにしても,確かにこの道を選んだのが正解だったかどうかというと,実に心許ない。研究は苦手だし,勉強は嫌いだし。冴えもキレもないし...強いて言えば教壇に立つのが好きなくらいで,だったら大学教員でなくとも良かったかもしれないし...そもそも「デキル人」ではないので,どこへ行っても向いていたとも思えないなあ。職も決まらず,研究も泣かず飛ばずの院生時代。「この道にさえ進まなければ良かったかも」と,何度思ったことか。

 ただ,この業界に進んで10年あまり。さすがに慣れてきたし,一応今のところ毎年業績も出てるし,授業は何とかなっているし。学生はみんな大好きだし。何より世間のお役に立てなくても,何とか食べていけるのがこのお仕事。その意味では天職かと。
 これからも細々と,業界の隅っこで何とかなれば。そして適度の仕事と,適度の娯楽,美味しいお弁当が作れて,夜にはささやかに飲めれば満足かも。あと,自信のある研究テーマに,ちょっとの業績があれば言うことなし。不肖のの弟子でスミマセン。

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September 10, 2006

中浪なれど波高し(9:完結編)

 大学で教えていると,「実は私も中学浪人したことがあるんです」という学生がごく僅かながらいる。今でも少ないながらいるのだが,彼らをみると,割合明るく「仲間」として声をかけてくれることが多い。その意味では,中浪という経験は決してネガティブなものでもないな。と思う。
 今日は完結編,浪人のその後。最後まで長文&自分語りなので,面倒な人は読み飛ばすべし。

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September 09, 2006

中浪なれど波高し(8)

 前回で,時間的な流れに沿った話は終わりなのだが,今回は取りこぼしたいくつかの話を書いてみる,いわば「拾遺集」。そもそも長文&自分語りなので,面倒な人は読み飛ばすべし。

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September 06, 2006

中浪なれど波高し(7)

 松楠塾の「松楠」が何かというと,吉田松陰の松と,楠木正成の楠からとってあるらしい。熊本の偉人横井松楠とは縁もゆかりもないのがポイント。今日はいよいよ入試編。相変わらず長文&自分語りなので,面倒な人は読み飛ばすべし。

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September 04, 2006

中浪なれど波高し(6)

 私の中学卒業は昭和63年,浪人のおかげで入学は平成元年。天皇の崩御が1月7日だったことにより,平成元年の入学者はなしという事態を回避した。もちろん私が天皇の容態越年を祈ったことは言うまでもない。いつも通り長文&自分語りなので,面倒な人は読み飛ばすべし。

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September 02, 2006

中浪なれど波高し(5)

 今日の当ブログの検索ワード解析で,「松楠塾」をキーワードに検索をかけた方がいた。ネットの上で同じようなことを考えた人がいたのはうれしい。今回は浪人の1年を歳時記風に,またもや長文&自分語りなので,面倒な人は読み飛ばすべし。

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