October 14, 2009
今朝の朝日新聞で見る限り,こういうことらしい
---------------ここから引用--------------------
教員を続けるために10年に1度大学などで講習を受け修了することを義務づけている教員免許更新制をめぐり、文部科学省の政務三役は13日、10年度限りで廃止する方針を固めた。制度は今春始まったばかりだが、現場にはかねて「教員としての技量向上に効果があるかどうかは不透明」「ただでさえ忙しい教員がさらに疲弊する」という批判がある。文科省が同日開いた有識者との会合でも批判的な意見が強く、制度を続ける必要性がないという判断を固めた。
---------------引用ここまで--------------------
となると,更新講習をすることがなくなるということになる。試行も含めて,受講なさった先生にはお気の毒といわざるを得ない。せめてこちらも心を込めて講習を立ち上げ,ご提供致しましたので,講習内容を普段に活かして下さいませ。
さて,ちょっと前に朝日に書いた「教員養成6年制」の方だが,こちらもその後何か進展したという報道を聞かない。ひょっとすると政策的に無理があるということでフェードアウト中なのかも知れない。もちろん今以上に教員の質も教育の質自体を向上させることに吝かではないので,こちらも良い方法を提案したいと思う。
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October 07, 2009
(2004.06.06)
行きつけのバーで、「数学嫌い」に関する話を学生さんとする。かの業界では「数学不安」なるテクニカルタームがあることなどを伝えたりする。こちらもズブの素人なのであまり役に立たない話をする。
数学嫌いについての理由をいくつか考えると、まず思いつくのは「学習性無力感」、出来ないという経験が重なることで、「もとよりできない」という無力感を感じるという説明はできそうである。しかし気になるのは「ある程度できる子でも、嫌いだ」という事実である。数学がとんと苦手な私であるが、それにしたって大学には入る程度の勉強はしただろう。2度目の高校入試の時には、満点をとって入学したこともある。にもかかわらず、数学はいつだって「苦手」教科であった。これはいったいどういうわけだろう。
自己の記憶をたどってみると、数学は「できた感触の薄い」教科だったと感じる。計算が苦手とか、問題の意味がわからないとかではなく。なんとなく自分でやっていることのつながりが分からない。というか。頭の中で操作する内容が少しでも複雑になると、もう自信を持ってコントロールできない、というか。問題の意味と手続きが一致しないというか。そういう「納得いく」感触の薄さ、自己不全感のようなものが付きまとっている。それは、何となく数学の意味がわかり、教えることさえ出来るようになった今でも残滓のように残っているのである。たとえ解けても、意味がわかっても、私にとって数学は「不安の高い」領域である。
いわゆる「できない子」の数学不安ももちろん見るべきものがあるが、実は「できる子」の一部(つまり文系)がもっている数学不安のインタビューなぞしてみると、面白いのではないかと思った酒の席であった。
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October 01, 2009
今日から後期が始まった。本学は今日から前期の成績が一人一人に返される(保護者に送付するような真似はしない,学生は「大人」と理解している)。で,一年生などはやはり初めてのことで,AとかCとかの成績に一喜一憂している。
私は常々学生に,単位は「ビタミン」のようなものだと説明している。すなわちAだけとってもDだけとっても健康にはよろしくない。AからDまでバランスよくとること。というものである。これは大学時代,日本語研究のT先生が云っていた事の受け売りなのだが,大学の学びをよく表しているような気がする。
確かに大学で用意されたカリキュラムをきちんと学ぶことが悪いとは云わない。ただ大学の4年間は,これまでとまったく違う生活が待っていたり,自分が選び取ったはずの専攻に疑問を感じたり,友達とのことを優先させたり,要約できた恋人と濃密な時間を費やしたり。それこそ「いろいろ」なのである。教壇に立つ先生に素朴に嫌気がさすこともあろう。そんな中で全ての成績が「A」になるとしたら,その他の「学びのリソース(社会環境・人的環境など)」が利用できていないのかもしれないし,ストレスが高すぎるかもしれない。バランスいいくらいが丁度良い,というのが大多数の学生なのだろうと思わずにいられない。
ということで,学業だけでなく,あらゆるものを吸収して欲しいと思うのが本心である。しかしながら,学業もおろそかにせず,頑張っておくれ。「緑黄色野菜の単位」を沢山出したいのも先生の本心ではあるのだよ。
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September 24, 2009
18日に朝日新聞紙上で,教員養成にかかる年数の増加に関する提案について意見を述べた。石川県は地元紙が本当に強い土地柄なので,これがまたほとんどと言って良いほど反響がない。学会では知っている方からちらほら意見を頂く。概ね賛成,ないしは激励のお言葉。学校現場に学生を送り出す側としては,やはり同じ思いをもつ方が多いよう。一週間を経て思うことは,新聞も今や決して雄弁なメディアではないのかなあと。
それにしても,新聞の編集というのは我々がやる書籍と違い,ガンガンに手が入る。そして,校閲部から細部にわたるまでしっかりと校正がつく。やっぱりその点においては凄い。そして,直った文章を見ると,私が「抵抗勢力」のように見えてしまう。ちなみに現野党の政策にもちっとも賛成したことはないです。
そして驚くことに,どうも稿料が出るらしい。また考えてみれば一介の心理学者が教育行政にコメントするのもはなはだ場違いだし,珍しいことである。
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July 28, 2009
某高等専門学校の哲学の教員が、提出された「カレーの作り方」のレポートで単位を出したとして不適切であるという判断を受けたらしい。我々の世代には良く知られる「漆原教授(動物のお医者さん)」ネタであるが、まあ告発されればアウトというタイプのものだろうねえ…
糞真面目に教育の目標や評価の話をすればもちろんこういう評価は認められないだろう。反対に高等教育機関はこのタイプのモラトリアム心性(社会と違いある程度の義務・責任の免除は許容しようとする態度)をある程度大目に見ても良いのではないかという立場に立てば、まあ一笑に付せば良かったとも言えるし。
本当は「深い」話だといえなくもない。
しかしなにより、大学(あるいは高等教育機関)から、こういう「シャレ」が通用しなくなるようなセンスのなさを少しは嘆きたいのだが、どうだろう?
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July 24, 2009
巷は選挙の話題で(ちょっとだけ)盛り上がっているようだが、こちらは学期末でバタバタである。そんな中で、気になるニュースが飛び込んだ。民主党の教育に関するマニフェストである。
今回取り上げたいポイントは次の2点。
・高校授業料の原則無償化
・大学における教員養成の6年化・1年間の教育実習
前者はこの党が得意とする「一律~化」で、現在ほとんどの生徒が進学する高校を、事実上義務教育と同じ扱いにするというものである。個人的には反対で、教育に関する投資が可能な家庭には「応分の負担」をお願いするのが筋なのではないかと思う。また、これが実施されると、現在でもまだ存在する「中卒」で社会に出る若者にとっては新たな格差を生むことになってしまう。基本的に、支援を要する個人に対して手厚い支援を行うことが重要なのであって、この施策にはやはり同意しかねるのである。
後者については、教員になるために医歯薬系と同程度の水準を保証しようとするものであるが、これについても突っ込みどころはある。
まず第一にいえることは、これを実施することが可能な教育機関は「教育学部」中心になることである。多くの教員は教育学部出身者が多いのだが、実際には法学部や理学部、音楽学部や美術学部など「専門学部」出身の教員も少なくない。反対に高等学校の教員免許だけとると、教育学部よりこれらの出身者が重視されるくらいである。高校教員には「東大出」とか「京大卒」のような、一見教員とは無縁そうな大学出身者がみられることがあるが、これは大学で専門の課程と同時に「教職課程」をあわせて履修した学生が教員になっているのである。
芸術や体育ではこの傾向は顕著で、演奏家やプロ選手と比べても遜色がない教員も多いのである)。
これらの出身者は、もともと専門を活かした道に進もうとするその1つとして教員を選んだのであって、初めから教員だけを志望しているわけではない。ただ「どこかで」教員に目覚めて勉強し、きちんと(採用試験に受かった「ちゃんとした先生」である。もちろん弊害もまったくないわけではないが、これらの先生も彼らの特色を活かしたところがある。しかし、今後6年制教員養成が始まると、これらの経路から教員になれる可能性は大きく制限される。民主党の関係者がこの辺の事情をきちんと理解しているのか本当に疑問である(実際には学校教員経験者の議員も多いはずなのだけれど)。
そして、教育実習を1年にするということによって、教員のみを希望する学生以外実習にはいけなくなることになる。それはそれで良いことではないかと思う人も多いだろうが、実際にはこれらの学生も採用試験に不採用になり、窮地に立たされる可能性があるのである。そのリスクのために、他の進路も探りながら教員を目指すということが出来ないなら、「賢い」学生はかなり教員から逃げてしまうのである。反対に、実習まで受けようという学生が全て教員になるとしたら、それはそれで問題だということに気づかないのであろうか。
そもそも教員の質を向上させようという試みは昔からあって、大学院まで行って学んだ学生に「専修免許状」を与えて優遇しようとしたり、教職大学院を作ったりといろいろあるのである。それでもなお「6年制」にする前に、この実質的な「6年制」があまり機能していないかもしれないことを良く考えてみてもいいだろう。
この施策についていえることは、「総論ではよさそうに見えるが、個別の事情を一つ一つ見ると、問題満載である」ということであろうか。だから私はどうしてもこの施策を支持できないのである。
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July 15, 2009
「有識者」の集まりである中央教育審議会が,今度は大学に「職業指導(キャリア・ガイダンス)」の授業の導入を行うと検討を始めたという。ソースはこちら。
大学生の職業・勤労観形成を促し,社会人として必要な資質能力を高めることが目的という。生徒指導論を教え,職業指導や就職支援の業務にも携わる立場として言えることは。
「それが授業で高められるというなら,苦労はしない」
学生が就職に悩み,離職を試みるのは,場合によっては「先進的な職業観」をもっているからの可能性が強い。すなわち,自己のキャリア形成に関心が高く,自分にとって「やりがいのある」仕事をもとめ,かつこうありたいというライフスタイルの追求に熱心だからに他ならない。
実際には「現実とのズレ」が生じ,そのズレとの折り合いをつけることも,職業指導上の重要なポイントではあるのだが,それを授業であつかうことによって何らかの解決が得られるというなら,あまりにも学生をバカにした話ではないか。授業はそれ程有り難いものでもない。
これまでのように,就職支援室や学生相談の中で,1つ1つの問題と向かい合い,きちんと「ケリ」をつけていくことは非常に重要だと思うのだが,それを授業でといわれると,何ともいいようがない。
もちろん,日々の講義の中で,職業観の育成や社会人としてのあり方を伝えることは出来る。そして多くの先生が大なり小なりやってもいるだろう。そういう「日々の積み重ね」の中に成長はある訳で,それを大学生のある時期,15回のカリキュラムで達成できると思っているならば,この国の学校観はどれほど楽天的で,しかもイージーなのだろうか。
自己理解を深め,社会人としてのあり方を学ばせ,先人の教えから学ぶことで解決するほど,問題は容易ではない。
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March 30, 2009
1年半の時間をかけた教科書ができあがる。生まれて初めての編集本であった。実際のところそれなりに骨の折れる作業で、途中いろいろ思うところはあったが、まあリリースしてしまえば後は野となれ...
タイトルは「『使える』教育心理学」、まあ使えます。データベースを使って用語の収集もしたので、教員採用試験に出題されるような古典的な用語はほとんど網羅されています。
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December 20, 2008
そんな訳で本日から「心理検査法」の集中講義。いつもながら門外漢の私が講じるのは気が引けるのだが,さすがに5年目となると色々「上手」になるものである。単に「授業」をするだけなら,専門的知識だけでなく「授業の腕」というのもものを言う。
ただ,土日祝日を仕事するとなると,それなりに疲労が残ることになる。20代の頃,冬期講習で毎日2時間の授業×4コマをこなしていた時とは大分違うようになったなあと実感。
明日は投影法の実習と質問紙検査の作成。がんばりましょうかね。
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December 19, 2008
・今年の金沢は比較的「晴れ」の日が多く,今夜も星がきれいである。金沢でベテルギウスとリゲルとシリウスを一度に綺麗に望めるなんて,なんて今日はいい日だろう。
・昨日のサッカー,珍しく某Doctorに誘われてテレビ観戦。負けはしたが,稀に見る「見所のある」試合だったと素人目にも見える。それにしてもマンチェスターは的確でスマートで切れのいい運動量である。
・学生の卒論が大詰めを迎えるにつれ,マーフィーの法則よろしくトラブルが増える。いよいよという段になってPCが不調になったりするのも,もはや慣れた話である。ちょっとしたTips
○ワードで卒論を作成するとき,ページが増えるにしたがってフリーズしたり終了したりすることも多い。大抵はファイルが大きくなってきて(図表などが増えると1Mをゆうに超えるから),メモリトラブルを起こしたりすることに起因するものも多い。心配だと思ったら,章ごとにファイルを分けて作成し,最後の段でまとめたりしても良い。テキストエディタなどではじめに文章を作成し,最後に提出仕様に作るのも推奨できる。
○プリンタ用紙や換えのインクは,潤沢に用意しておきたい。最後になって足りなくなったときは,前日の夜中であることも少なくない。
○「引用文献表」は,是非とも論文を読んだ後にコツコツ貯めていてほしい。後になって作り始めると,これがまた1時間以上かかり,提出直前の貴重な時間を失いかねない。同様に「謝辞」も,最後ではなく気が向いたときに作っておくと便利。
○CTRL+S(あるいはコマンド+S)の癖は,是非ともここで身につけておくと,後の人生において「1ページも失ったぜ,ちっ,今日はもうヤメタヤメタ」というやさぐれかたをしなくて済む。
そんなわけで,ここはひとつ身を入れて頑張ってほしい。
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November 30, 2008
・学生相談学会の研修で東京へ
・敬してやまない内田樹を生で見る。内田先生の現代学生論は、ブログを読んでいれば基本的にその筋がわかるというもの。変わらぬ卓見で面白かった。今回新しく仕入れたネタは、ゼミを希望する学生を選ぶ話。学生を一目見れば、誰が「良い学生」か見抜けるという内容の話で、それは非常にセンスのいい話なのだが、「教育屋」のニカタにしてみればそれは問題である。
そもそも気の利いた学生は、きっと私のゼミでなくともどこだってそれなりの成功をおさめる(様な気がする)。実のところ本当に支援が必要なのは、内田先生の言うところの「不合格」の学生であって、彼(彼女)らをうまいところまで持っていくのが、ある意味「先生の醍醐味」ないしは「腕の見せよう」な気がするのだ。そして、そういう学生との向かい合い方に何をかを語ることがあるとすれば、今回の聴衆にはもっと「響いた」と思う。
それにしてもやはり内田先生は鋭い勘の人で、話しながらもあちこちをスキャンし、相手を見計らった所作振る舞いをしていることが見て取れた。この境地に達するのは難しい。
・遅めの昼食をとりに銀座界隈。途中で「とんかつ とん喜(本当は七を3つ)」という店を見つける。誘われるように入り、当たり前のようにカツ丼(ライス少な目)を注文する。
当たり!カツの厚さも、つゆとのバランスも、卵の具合も抜群。油のくどさ具合もわたし好み。久しぶりにこころゆくカツ丼を食した。よく見ると、どの客もカツ丼を食べている。調べてみるとなかなかの名店らしい。この勘どころの境地に達するのは難しい。
・夜は池袋で旧友と食事。私以外はあまり飲めないので、私も少なめ。
大学を出て10数年経つのだが、一度つかんだ繋がりというのは、どう変化しても残るということがよく分かる。心行くまで旧交を温める。
今度はぜひ金沢にもおいでよ。そして本当にありがとうね。
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April 25, 2008
教育心理学の教科書を作成しようとここのところ奮闘中。とりあえず各教科書の動向を知りたいということで,日本で売られている33冊の教科書を買ってきて,索引(人名索引を除く)に書かれている単語を全部データ入力してみた(アルバイトの学生さんお疲れ様)。総収集単語数6371語。そのうち14回以上登場した単語がちょうど101語。参考までに公開することにします。
みてみると,最近の教育心理学のトピックといったものは驚くほどない。そして,教員採用試験に出そうな項目は,驚くほどたくさんある。
ちなみに,私の講義する教育心理学では,この101から抜け落ちている項目は10%以下であることが分かった。なかなかいいセンスしてるじゃんと自画自賛!
※転載は 執筆者荷方まで許諾の上可!
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February 19, 2008
テレビゲームを研究テーマとして扱っていると,迂闊に「ゲーム批判」に対する反論を述べてはならない気がする。しかしながらまあこういう記事にはコメントしておいた方が良いかと。
実際はこのような記事。
>「周囲の人とうまくかかわることの出来ない子どもが増えたのはテレビ漬け、ゲーム漬けになっているからです」と注意を促す講師は成田弘子さん。NPO「子どもとメディア」会員。蕨市立中央東小学校教諭。
表情のない子、言葉の習得の遅い子、視線をあわせることの出来ない子が増えてきたと指摘。
>小学生が起こすいたましい事件の原因の一端でもあるとのこと。
少なくとも言語習得や感情表出についての問題,あるいはその他の問題行動と,上記のメディアの関連についてははっきりとした因果関係を指摘している研究は見られないし(詳細は,荷方,2002,2008などを参照),あったとしてもその検証が必要なレベルで,この「確定的な」主張は「勇み足」と言わざるを得ない。もっと言えば,このようなメディアに長時間曝露されている多くの児童・生徒の中で,良好な発達をしている個人がいれば,それはそれで「反証」となりうるので,極端な断定は避けられたいと思う。
> 「幼児にとっては、テレビは光の明滅による刺激でしかない」と成田さん。電子音の刺激も思わぬ影響を与えるという。 「画像や電子音ばかりになじんでしまうと、人の声や、人との接触を拒むようになります」。
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December 05, 2007
OECDの学力テストPISAが今年も実施され,日本の学力は低下中とのこと。文部科学省は早くも「ゆとり教育の見直し」を口にしているけれど,特に下がっているのは応用力を中心とした内容である。
そもそも現在のゆとり型教育は,それまでの知識偏重型・詰め込み型の指導内容から,考える力や「生きる力」へのシフトの一方法として考えられた側面もあるが,それが見事なまでに功を奏していないということでもある。これが以前のタイプに戻したとしても,そもそも思考力に重きをおいていなかった方法で上手くいくとも思えないのだが。
大学やその他の教育機関で教えていて感じるのは,学力低下が教育内容によっているのではないかということ。どちらかというと,現在の低下は「教育に対する価値観と需要の低下」,すなわち「勉強したくないし,だからしない」という点の方が大きいような気もする。そうなると問題は,社会システムのようなもっともっと大きな問題であり,教育改革ではもうどうにもならないような問題かもしれないのだが,この辺は一体どう考えればいいのだろう。
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June 25, 2007
ヤンキーだった先生やオール1だった先生が教育改革のためのプランを提案することが出来るというなら。中学浪人を経て大学院で落ちこぼれ,教育産業で細々と命脈をつないだ教育心理学の研究者だって十分のような気がするのだがどうだろう?
ちなみに,私には到底荷の重いことだろうと思う。
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May 14, 2007
教育再生会議が,今度は「親学のすすめ」なるものを出している。素人が見ても「思いつきに過ぎる」内容だったのだろう。出したそばから引っ込めたというお粗末なものとなってしまった。内容はといえばまあ正論のようなもので,それが大きく間違っているものでもなし,さりとて全ての親を縛るようなテーゼになるとすればあまりにも配慮がないだろうとも思う。
しかしこの「すすめ」の中で一番問題なのは,提案そのものの実に具体的な点であろう。もし具体的な行為について提案するならば,その行為が有効であるという根拠についてきちんと吟味する必要がある。たとえば食事中にテレビをつけないことが,つけた場合に比べどれだけ発達・教育上問題があるかきちんと確認されているのか。実のところこのような提案にどれだけの意味があるのか,きちんと評価できているとは思えない。少なくとも国や政府の発案が,そこらの教育論的な内容で振り回してしまうことの問題を,よく考えてほしいと思う。
もし私が「親学のすすめ」を提案するとすれば,逆に抽象的なテーゼで正論を述べるにとどめるようにも思う。これなら大きく間違うこともなく,おそらく数多存在するであろう,個々の具体例に対して柔軟に適応するからである(そもそも10個程度の具体的指針で,それを全体とすることが無茶ということでもある)。
・可能な限り子供に対して手をかける。
・子供の教育に対して,自らの創意工夫を大事にする。
・子供の自発性に期待して,辛抱強く「なにもせず見守る」ことも「手をかける」ことである。
このくらいで十分と思う。要は「頑張りましょう,でもバランスはとりましょう」である。しかしまあ子供のいない私が言っても,説得力はないのだろうなあ。
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February 13, 2007
文系博士の取得率に関して,朝日新聞が記事を出した。概要は以下の通り。
-----------------------------
博士号は文系の方が理系より難しい――。博士課程の修業年限内に学生が博士学位をどれだけ
取得できたかを文部科学省が初めて調べたところ、文系の学生の取得率は理系の3分の1以下で
あることがわかった。博士号については「理高文低」と言われてきたが、それを裏づけた格好だ。
文科省は「文系は低すぎる。対策を考えてほしい」と話している。
-----------------------------
ここで文系の学位取得の難易度や,理系の方が良くできているのか?といった問題はさておく。ただ,文系の学位取得を促進するようにと文科省がコメントを出したことには慎重であらねばならない気がする。現在の状況で3年の修業年限のうちに学位を出すとしたら,それこそ質の低下が顕著になる可能性があるからである。
現在において学位取得の困難さは,とりもなおさずそのハードルをクリアすることの物理的制約に強く影響されている。「良心的な」博士課程を持つ大学は, (a)一連の研究群(10〜15くらい)をまとめた博士論文を書くこと。(b)なおかつ,それらの研究の数点が既に査読を経た雑誌に掲載されている,あるいは掲載されることが確定している。ことを求めている。ここにポイントがある。
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January 24, 2007
私が小学生だったころ,医者や弁護士,経済学者なんてなったら格好いいなあと思っていた。中学の時は,音楽で食っていくか,あるいはアナウンサーなんていいなあと思い,発音やアクセントに興味を持ったりした。
実のところ,現在のような心理学で食べていこうと思ったのはぐっと下って大学も終わりくらいの頃。もっと本当のことを言えば,大学院に入っても何かの際にはいつでも方針転換できるように保険はかけていた。教員免許もその1つ。多くの若い人にとって,夢はたくさんあるものであり,そのチャンスは潤沢であるに越したことはない。また,夢が叶う(あるいは,希望が「ノルマ」に変わる)直前まで,その変更も柔軟であった方が良いと思う。
なぜそんな話をするかというと,どうも政府の教育再生会議が,教員免許を国家試験にしようというのである。以下,asahi.comからの引用
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政府の教育再生会議が24日、安倍首相に提言する第1次報告で、教員免許を「国家試験」化することが検討課題に盛り込まれる方向となった。教員免許を巡っては、現行の終身有効制をやめて更新制を導入するため、教員免許法の改正案の通常国会提出が検討されている。更新制に加えて国家試験化となれば、教員養成への国の関与はいっそう強まることになり、議論を呼びそうだ。
(中略)
再生会議では、教員養成課程をもつ大学を卒業生の「質」で事後評価し、合格率が低調な場合は教職課程の認定を取り消す措置の導入も検討されているという。
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December 02, 2006
学習指導Q&A(7)「友達間のトラブル」 2001.12
(Q)クラスのA子ちゃんグループが、元気のいいB君に不満をもっています。どうしましょう。
(A)いずれの場合でも、まず教務担当職員に報告をし、しかるべき対応の伺いを立てることが原則です。小さなトラブルは、以下のように。
1)不満のある側の話をよく聞くこと。その上で、文句を言うだけでなく自分自身もしっかりとした対応が出来るように指導する。
2)席換えは講師の裁量権のもとにあります。変えるという報告をした上で調整してください。
3)特に女子(グループ)の場合は、問題が大きくなる可能性が高いです。原因と経過を注意して観察し、ミーティングなどで善後策を講じるようしましょう。
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November 17, 2006
学習指導Q&A(6)「カリキュラム短縮の技法」 2000.8
(Q)今月は、ほかのクラスより一時間少ないです。うまく追いつくにはどうすればいいでしょう。
(A)カリキュラム短縮には、次のような方法があります。いずれも、指導内容を飛ばさないという点では一致しています。
1)手作業の自動化による解説時間の圧縮
板書を行う部分をプリントなどにすることによって、時間を短縮する。ただし、既存のテキストにそのまま書き込ませるようなことは避けたい。
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November 11, 2006
学習指導Q&A(3)「どうやって宿題を出すか」
(Q)宿題を出したいのですが、どのような指導をすればよいでしょう?
(A)宿題と一口に言っても、その形態は様々です。ただし一点言えることは、「生徒が家庭で学習する」ということを守らせればよいのです。
・課題を出す。
このとき、次回に解答・解説をすると、授業の進度を妨げる場合があります。この場合は、先生がめんどうでも採点するか、生徒に採点させることになります。後者の場合、生徒がやらなくなる危険性があります。
・次回の授業に必ずテストをする(生徒が必ず家庭で復習するようにしむける)
・家庭での学習計画を作らせ、毎週進行状況を確認する。
これは、学習内容を設定しないという意味で、実際の宿題とは違います。しかし、先生が毎週その進度を確認することによって、宿題と同様の効果を期待することができます。
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November 08, 2006
学力テストの成績で予算配分の傾斜をかけることは断念したらしい。何にせよ拙速に事を進めなかったその判断は高く評価することができるだろう。
教育改革で最も重要なことは,システムを「統制的に」変更したり,あたらしい制約を加えることではなく,1つ1つの「工夫」によって変化する方が良いように思う。何しろ教師も・生徒も・地域も1つ1つ違うのだから,「スタンダード」よりも,同時多発的な工夫の方が適応的だ。
その意味では,何か工夫をこらそうとした足立区のアイディアと機動性は,大変に立派なものといえる。これからも,たくさんのアイディアを出して,社会の反応を見てはいかがかと思う。良い方法にはきっと味方がつくことだろう。少なくとも,抽象的なお題目や,やはり拙速かもしれない「原理」の導入で,教育自体が大きく変わると夢想している集団よりは,きっと教育を変える力があると,私は思う。
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November 07, 2006
学習指導Q&A(2)「少人数クラスの指導」 2000.4
(Q)クラスの生徒が全部で4人。いつもの授業より少ないのですが、注意すべき点は?
(A)通常、塾の一斉授業は、約10人から15人の学級で編成されます。しかし、4月の改編期や基礎クラスなどでは、講師の利便をはかるために少人数の学級編成になることがあります。少人数クラスは、一人一人に対して目が届きやすい反面、以下のような問題を抱えることがあります。
・多人数の感覚で授業をすると、生徒にとって講師が「浮いて」みえる。
・一人の生徒と関係が悪くなると、それが全体へ波及するスピードが早い。
・一人一人への対応ができる分、生徒にとっては「先生の拘束」が増大する。
・生徒の問題点が見つかりやすく、講師のネガティブな反応が増えやすい。
いずれにせよ、生徒と講師の人間的なつきあいが密接になりやすい分、人間関係上のトラブルが増大しやすくなります。特に基礎クラスなどの生徒の場合、大人との間に感覚や視点のギャップが大きいこともしばしばです。
当たり前のようですが、普段よりもいっそうデリカシーのある対応を念頭において指導する必要があるのではないでしょうか。いわゆる「個別クラス」・「少人数の高校生クラス」にも同様の傾向がいえます。
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November 04, 2006
足立区が,学力テストに応じて予算の配分に傾斜をつけるらしい。教育に競争原理の導入をすることの是非はともかくとして,これが効果的な施策だとしても,あまりにも杜撰なのではないかと思う。
まず,上位の学校に高額な配分をし,最下位の学校が最低の配分であること。もし,競争の結果さらに努力が必要とされた学校には,ある程度の「てこ入れ」がなされなければ,効果的な改善は望めないだろうに。恩賞懲罰的な予算配分では,教育の効果は低くなる。本来は,上位クラスの学校に限り恩賞的な配分,そして下位の学校にも「ややてこ入れ」の配分にすべきだろう。それで下位を狙う学校などありはしないだろうに。競争原理の導入の割には,各成員の士気の見積もりが悪い。それでは競争が起こらないといっているのに近い。
さらに,この配分された「恩賞的な」予算は,「生徒が決定できる予算」にした方が効果は高い。先生がしゃにむに学習させるより,競争を意識した生徒が組織的に学習意欲を出して成績を上げる。その結果得た金額で,体育機械でも,高額な楽器でも購入すればいいのである。動機付けの点ではこちらの方が効果が高い。
つまり,競争原理の導入という意味においても,実に「思慮の浅い」思い付きであるという点は指摘されるべきなのではないかと思われる。よりよい施策の実施に,再考をお願いしたいところである。
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October 30, 2006
教育実践知識の次は,やはり教育産業にいた時に書いた雑文を。こっちの方がより「塾の先生の毎日」に即した内容になっている。
学習指導Q&A(1)「授業の時間配分」 2000.3
(Q)授業の時間配分が上手くいきません、足りなくなる事が多いです。どうすれば良いでしょうか。
(A)時間配分の誤りには(1)講師の解説時間の目測のミス、(2)生徒の解決時間の目測ミス、(3)課題の精選の不足が大きく指摘されます。(1)はそもそも講師の準備不足に起因するので、模擬授業や授業のシミュレートで多く解決します。(2)と(3)は講師の経験の差に由来することが多いのですが、次のような方法である程度の解決を図ることができます。
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October 27, 2006
荷方の教育実践知識 2000.2 「失敗することの意味(2月号)」
学習の過程においては、必ずと言ってよいほど何らかの「失敗」が伴うものと考えられます。ソーンダイクという心理学者は、ネズミの迷路学習実験から、彼らが「試行錯誤」によって確実に学習していることを発見しました。比較的複雑で難解な問題も、間違いながら根気よくチャレンジすることの重要性は、もはや説く必要はないでしょう。
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この号はほとんど「個人的主観」の方が強くなっています。いわゆる「専門的見解」とは異なることがありますので注意。
荷方の教育実践知識 2000.1 「欲求不満耐性の獲得と指導(1月号)」
人間は生まれてきたときから、様々なストレスにさらされます。したがって、常に「自分の思い通りにならない状態」が存在するのです。この状態を欲求不満、フラストレーションと言います。子供の場合、これを我慢するという能力が低く、成長するにしたがっていろいろなものが我慢できるようになりだします。このことによって社会性が発達したり、人間として必要なスキルを獲得するためのストレスに耐えられるわけです。このような能力を欲求不満耐性と言います。
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October 25, 2006
各県の高等学校で,必修の世界史を実際には履修させていなかったという問題が上がっている。特に進学校の理系を中心に,「受験に必要な教科」だけを集中的に学ばせようとしていたということだろう。事の是非をいうなら,指導要領の遵守義務違反であるし,また高校教育の本質(十分かつ幅広い内容の指導を行う)という意味でも論外である。
で,最近のいじめ問題で学校教育に強い批判を与えているマスコミが,こぞって取り上げていた。ある局では「またダメ教師」という見出しで随分な批判をしていたが,事の本質はそういうことではないことに気づかないかなあ。
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October 24, 2006
荷方の教育実践知識「学級の社会的構造(12月号)」
授業は通常、「集団」に対して行うものである。この学級集団のなかでは、当然様々なコミュニケーションのやり取りがある。この場において、生徒等は社会的欲求の充足・抑制、集団における役割の遂行、集団目標・規範の下での行動調整を学ぶ。
近年の研究では、個々人の行動が常に本人以外の他者にさらされることによって、一人ではできなかったことができるようになったり、また緊張して逆にできなくなったりする。これを社会的促進・抑制といい、大いに利用したいところである。
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10月号(生徒指導)はさすがに今となっては問題があるので封印。
荷方の教育実践知識「全習法と分習法(11月号)」
よく問題になるのは、「ある領域の勉強は、一度にまとめてやるのがいいか、少しずつ分けた方がいいのか」という点です、前者の方法を全習法、後者を分習法といいます。英単語や漢字の書き取りは、一度にというわけに生きませんから後者ですが、他の場合は次のような性質に注意しましょう。
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October 23, 2006
2008年を目標に,大学教員に対して,教育のための研修を義務づけることになったという。
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文部科学省は大学・短大教員の講義のレベルアップのために、全大学へ教員への研修を義務づける方針を固めた。早ければ08年度4月にも義務化する。研究中心と言われる日本の大学で、学生への教育にも力点を置く必要があると判断したもので、『大学全入時代』を迎え、学生の質の低下を懸念する経済界からの要請も背後にある。具体的な研修内容は今後、中央教育審議会で検討する。
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一般論からすれば,大学教育の向上として研修を盛んに行うことは賛成。しかし,である。なぜ「義務」なのか,なぜ「研修」するのか,そして「何を」研修するのか。全く以て怪しいような気もするのである。
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October 19, 2006
荷方の教育実践知識 1999年8月
「レディネスと発達の最近接領域(8月号)」
今月はちょっと長めの「集中講義」です。
どんなに上手な先生であっても、小学一年生に二次方程式の指導をするのはまず不可能です。なぜなら一年生にはまだ、二次方程式を理解するだけの数についての理解・論理的な思考の理解ができていない。つまり学習に必要な準備が出来ていないからです。このように「そろそろ分かるんだけど、まだ準備中ね」という状態を「レディネス(readiness)期」といいます。
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October 17, 2006
荷方の教育実践知識 1999年7月号
「プログラム学習(7月号)」
プログラム学習は、有名な行動心理学者スキナーによって開発された方法で、ティーチング・マシーンと呼ばれる問題提示装置を使って指導を行うものである。現在で言えばコンピュータによる教授(CAI)のもとと言えるものです。
この装置は、単に問題が出されて解答をし、正誤に応じて褒められたり・間違いを指摘されるという単純なものですが、いくつかの良さがあります。
1)積極的反応の原理(ただ授業を聞くだけではなく、自分から積極的に答えることが必要)
2)スモールステップの原理(一歩一歩着実に学習し、できない所はできるまでやる)
3)即時フィードバック原理(結果が即時に返ってくるので、やり直し・復習が容易)
4)マイペースの原理(自分の能力に応じて、適したペースで学習できる)
コンピューターゲームは、この原理があるので「はまる」し「うまくなる」のです。一般の授業にも応用して活かすべきところが大いにあります。
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荷方の教育実践知識1999.6月号
「実質陶冶と形式陶冶(6月号)」
一般的な学習能力、すなわち勤勉さ・内発的動機付けの高さ・学習への興味関心の高さを引き出す教育指導を形式陶冶と言い、毎日机に向かう・漢字や単語の練習をする・問題集を解くといった活動が学習成績を伸ばすものである。これに対して、実際の知識・技能の習得によって学習が高まるという見方が実質陶冶である。言い方を変えれば、数学や英語などを学ぶ行為が、あらゆる知識の吸収につながるという立場と、個々の知識は独立であり、それぞれ学習しなければならないという立場である。
どちらが重要、ではなくこれら2つは表裏一体の関係にある。退屈な日々の学習がいかに大切かを諭す形式陶冶的指導と、生徒がいかに楽をし・かつ楽しんで学習できるような教材を作る実質陶冶的アプローチを上手に使い分けるかがポイントです。
なお、教師のリーダーシップを優先する教師は形式的、フレンドリーな授業を優先する教師は実質的な傾向があります。どちらかに当てはまる先生は、反対のアプローチが上手に使えるようになっておいてください。片方だけでは不十分なのです。
(2006)形式陶冶を「退屈な日々の学習」と言い切るこの頃の書き方はどうかと思う。「学び方の姿勢」そのものを学ぶのが形式陶冶の核なのかなと最近では考えたりもします。
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October 13, 2006
更にもう一つ
荷方の教育実践知識 1999.5月号
「適性処遇交互作用(ATI)(5月号)」
世の中にはいろいろな学習方法があって、先生が講義する方法、視聴覚教材で指導する方法。果ては友達が教えてくれるなど枚挙にいとまがありません。これまでの教育研究ではいずれの方法も効果があることが分かっていますが、学習者個人では差があることが分かっています。
活動的で自己主張の強い能動的な学生は教師による講義の元で良く成長し、反対に受動的で自信に欠け、依存的な学生は映画やテレビなどの視聴覚教材で学習します。友達に教わる・教える方法は、能動的な子ではきわめて質の高い学習効果がありますが、受動的な子は答えを聞くだけになる可能性があります。
このように教授法と学習者の特性に偏り(交互作用)があることをATI(Aptitude-Treatment Interaction)といいます。講師は、自分の得意とした方法を教えがちですが、生徒にとってそれがベストとは言えない場合があります。それをいち早く見抜き、最適な方法を各自に与える。あるいは万人に受けやすい方法をとる。この姿勢こそ、「個を大切にする授業」の基本であると理解してください
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もう1つ
荷方の教育実践知識1999.4月号
「メタ知識と先行オーガナイザー(4月号)」
まず、次の文を考えよう。
「やり方は簡単だ、まず同じものを探し、一つにまとめておく。今度は右と左で同じものをまとめておくだけで良い。気をつけなければならないのは、右から左へ・左から右へ動かすときは、逆にしておくことを忘れないことだ。」
この文だけで、「文字式の計算の方法」とすぐ解るならば大したものである。我々の生活は具体的な行動の連続であるが、その一連の行動をまとめて呼ぶためのさらに高レベルの(メタの)知識がある。これがメタ知識である。授業において、これから指導する具体的な内容が、どのような事をするためにあり、他の指導内容とどのような立場にあるかを先に指導することは、生徒にメタ知識を指導することであり。これによって、生徒の理解はスムーズ・確実になると考えられている。
学習におけるメタ知識の事前提示を、先行オーガナイザーと呼ぶ。ただ単に指導内容をわかりやすく教えるだけでなく、どういう出題のとき使うのか、使えない類題は何かなども、生徒に同時に教えておきたい。
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旧ホームページ移行のための第2弾。昔つとめていた教育産業で教務主任などをやっていた時に,毎月連載していたもの。こうやってみるとどうでもいい内容だったりするなあ。
荷方の教育実践知識 1999年3月
「内発的動機付けと外発的動機付け(3月号)」
教師や両親、友達などの社会的存在からほめられたり、叱られたりすることによって、学習意欲は増減します。また、自分で問題が解けるようになったり、達成感を感じたりしても学習意欲は増減します。このようなタイプの方法で学習意欲を操作するアプローチを動機付けといい。前者を外発的動機付け、後者を内発的動機付けと言います。
前者は即効性がありますが、慣れてしまいやすいので効果がすぐに薄れます。後者は獲得が難しいですが、永続性と強力な有能感を与える長所があります。
「ほめ方の上手な先生」、「叱り方の上手な先生」になることももちろん大切なファクターですが、やはり生徒がついてくるのは「問題の解ける楽しさ」「学習活動そのものの楽しさ」を伝えられる先生です。そう思いませんか。
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