April 18, 2011

桜の下の哀しみ

Blog198

・大学のグランドの桜。まさに桜花爛漫といった感じで,今日がピークである。市街地はもう少し散っているので,幸せもそろそろといった感じ。

・震災の話でただでさえ心が痛むのに,朝から事故で小学生が5人も亡くなったニュース。言葉にならない。そしてまた,傷つける気持ちなどつゆもなかった加害者のことを思ってもまた言葉に詰まる。
 このひと月の間で,私は人を憐れむとか,人に憤るといった感情ではなく,「人を哀しむ」ということを覚えたように思う。どうして人を判断することができようか。人と運命の前で私もまた,無力である。


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February 25, 2011

日本と中東の「首の皮一枚」の違い

 エジプトの政権崩壊を引き金に,リビアやその他中東・アジア諸国で変革の動きが急である。日本ではこれを「民主化への動き」と報じ,理不尽な為政者が人民によって淘汰されているという図式でとらえているようだ。一面としてはもちろん正しいのだろう。しかし人間の思考プロセスからすると,そう簡単にとらえていいものとも思えない。
 私の狭い範囲で取得できる情報をもとにすると,彼らの論理は「われわれはこれまで理不尽な生活を強いられてきた,それは為政者のせいだ,今こそ変革が必要だ」というものが中心のようである。もちろんそれは正しい。しかし彼らの未来についてのヴィジョンは「新しい『何か』が必要だ」以外にはあまり聞かれない。もちろんこれも今現在革命の活動が忙しいのだから,先のことなどそうはっきりとしていないのも理解はできる。それにしても,政権崩壊後,彼らはどうするのだろうか?
 アジア・アフリカなどのこれまでの歴史は,政権の崩壊が民主化をもたらさないという事例を豊富に提供している。ある国家はそのまま軍政が居座り,新たな独裁を生んだ。ある国家は宗教や部族の対立を改めて巻き起こし,国家の混沌を生んだ。そもそもこれらの国家には,政治による統治よりも宗教や民族による安定がより優越しているところも多いのだ。その意味で,欧米的な民主主義に対する理解は全く異なるものと言って良い。おそらくは,リビアやエジプトも,似たような結末になるのではないだろうかと想像できる。いや,過去にもこれらの国には同様の動きがあり,結果として今のようになったのではなかったか。

 これに対して,見た目には「民主国家」を達成している日本は,これらの国とは全く異なるように見える。しかし最近のテレビを見てみよう。「不況やいろいろな理由で,われわれは理不尽な生活を強いられている,これは政府が悪い,変革が必要だ」。ほぼ彼らと同じような論理で政権交代が起こった。交代の結果,「変革」だけでは政治も生活もほとんど変わらない(ような気がする)ことがわかった。その結果としてわれわれは,新たな変革を求め続ける。そこで地道な変化を見守り続けようという動きにはならない。変革の欲求が,本当の意味での変化につながらないのは,アジア・アフリカ諸国と構造的に変わりはないように思われる。

 ではなぜ日本では激しいデモがないのか。それはつまるところ「まだ食っていける」からであり,(生活の困難さに苦しんでいる方には申し訳ないが),命を張ってまでプロテストするという選択はあまりにもリターンが悪いと判断されるからである。基本的な権利が充足されている社会では,変革の欲求は小手先の娯楽に過ぎない,とでも言うべきか。当然ながらこれは悪いことではなく,幸せな状況といって差し支えなかろう。

 もしわれわれが「賢い国民」と主張したいなら,変革後の政治を自らが分担し,実行出来るくらいの心構えと責任を想定しておきたい。それは自らが現在よりさらに過度な負担をし,時としては理不尽とも思える状態にあっても,なお信じた国家のあり方を選択することを意味する。「お上(為政者)がわれわれを幸せにしてくれるはずだ」という受動的な態度では,日本もいずれ彼らの国のような状態になりかねないように思われる。

 それができないというのなら,現在の理不尽に文句を言い続ける幸せの中で満足しても,大した違いはないのである。

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March 13, 2010

寝台特急「北陸」

 あちこちのニュースで既に騒がれているが,金沢-上野間を走る寝台特急「北陸」が昨日で最後の通常運行をやめた。金沢と九州の往復は「なは」をよく使い,東京はしばしばこれを使った。今の大学に採用が決まり,引き継ぎに赴いたときもこの列車だった。朝起きるなり,窓の外が雪で真っ白だったのも今思えば懐かしい。北国の旅情溢れる列車だった。
 B個室があること,シャワー室があること,いろいろな点で使い甲斐のある列車だった。上野行きは東京着が早く,まだマクドナルドも開いていない状態でそれなりに大変ではあったが。初めて東京で講演したときもこれで行ったのだった。
 そのうち新幹線が金沢まで延伸し,東京への足はさらに便利になるだろう。しかし夜を有効に使えて,しかも「宿泊」にもなった「北陸」。出来れば残ってほしかった。

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February 24, 2010

自分の中で賛否両論

 ついに大学でもキャリア・ガイダンスを授業化する義務が決定した。ソースはこちら。以前からちらほら話には出ていたので,驚きではないが,これまでカリキュラムとしてキャリア・ガイダンスを開設していなかったうちの大学は,急遽企画を行う必要がある(そして多分私の仕事だ)。生徒指導論を講じているのだから,職業指導はその範疇である。
 職業指導の意義はもちろん分かっているので,開設自体にさして異論はないのだが,内容については色々悩ましい。単なる就職支援を学内でやるだけなら,学生の深い取り組みを促すとは限らないから。特に美術系の大学としては,職を得ることは大学でどのような専門的な力を身につけるかということと密接に関連するので,キャリア・ガイダンスの中身として,「大学で何を学ぶか」をよりしっかりと考えさせることが重要だからである。
 ここから考えると,キャリア・ガイダンスの一つの柱として大学での初年時教育」を充実させることが一つ課題としてあるのだが,下手に計画をすると「それはキャリア・ガイダンスの範疇から外れる」と指導されかねない。この辺りの折り合いをどうやってつけるかが大切となろう。

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January 24, 2010

そりゃまあ,間違ってはいません。

 皇族がオックスフォードで「哲学博士号」を取得すると報道された。ソースはこちら。ニュースには,「寛仁親王家の長女彬子(あきこ)さま(28)が英オックスフォード大で「哲学博士」の博士号を取得することが決まったと発表した。皇族で論文審査を経て博士号を取得するのは、秋篠宮さまの「理学博士」に続き2例目。女性皇族では初めて。」とある。
 研究者を含め,知っている人は多いが,このときの哲学博士は「Ph.D」のことで,日本では専門職大学院である法科大学院の法務博士以外は理学であろうが工学であろうが,全部Ph.Dのことである。このニュースを見ると,まるで「理学博士」は「哲学博士」ではないように見えるが,どちらも同じなので誤解の多いニュースといえるだろう。もちろん,本当に哲学の学位をとったのかもしれないが,どうも研究が美術史や比較文化研究のようなものらしいので,それも違うように見えるのである。
 そろそろ日本も,学位取得のニュースを報じるときは,「Ph.D(...)」とか,「博士(~学)」としてみてはどうかとも思うが,ニュースの価値として,そういうことは大した問題ではないのかもしれない。いや,確かに問題ではないのだろう。

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December 26, 2009

中国の安全確認

 中国で高速鉄道ができたらしい。なかなか立派なもので,これで350kmならちょっと乗ってみたいと思う。ただ,そのコメント

-----引用開始------------------------------------------
中国政府は、2020年までに5兆元(約67兆円)を投入し、計12万キロの路線整備を目指している。ただ、目標達成を急いでいる様子もうかがえる。建設責任者の一人は現地紙の取材に「ドイツ企業から安全確認に2年かかると言われた工程を半年で実現させた」などと述べている。
-----引用終わり------------------------------------------
 「実現した」のなら誠に結構だが,本当に大丈夫か?といった気にもなる。ドイツは過去に高速鉄道で大きな事故もやっていて,おそらく反省もあってきちんと考えていたように思われるが,このあたりのところ,どんな感じでしょう。まずは安全に運行されることを祈りたいものである。

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December 23, 2009

タバコ税引き上げ

 1箱で100円ほど上がるらしい。私はノンスモーカーなのでそもそも影響なしだが,周りのスモーカーもそのくらいで禁煙はしないという態度の方が圧倒的。それなら税収も上がるだろうし,ちょこちょこ上げて500円くらいにまでにしたら結構みんな買うのではと当局も踏んでいるのかもしれない。
 私は別の観点から,タバコの価格を引き上げるのは賛成。それは,もっと高くなって若年層(10代のこと)には敷居が高くなると,若年期の喫煙率を低下させるのではないかという期待からである。TASPOだ何だとやるより,こちらの方が簡単かつ安上がりに効果が上がるのではと思ったりする。
 そのうち,ドラッグの方が安くなったりして…いや,それはマズイのだが。

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November 18, 2009

大人の学力検査

 今日は「これは面白い」というニュースが多い。今度はOECDが「大人のPISA」をやろうといいだした。
-----------------引用はじめ-----------------
 経済協力開発機構(OECD)は、これまでデータがほとんどない、「成人が社会で必要とされる能力」を測る初の世界的調査「国際成人力調査(PIAAC=ピアック)」を2011年に実施する。
 日本も、文部科学省の国立教育政策研究所が主体となり調査に参加し、「日本の大人の学力」の把握と国際比較に乗り出す。結果は13年に世界同時公表される見込み。
 OECDでは、世界の15歳を対象にした「国際学習到達度調査(PISA)」を実施しているが、ピアックは、この大人版となる。PISAでは日本の子どもの学力低下が論議を呼んだだけに、大きな関心を集めそうだ。
 ピアックには、日本、アメリカ、イギリス、フランス、フィンランド、韓国など計25か国が参加。16~65歳を「成人」とし、各国で無作為に抽出された男女5000人に調査員が直接面接、パソコンを使って出題する。
 同研究所によると、問題は「読解力」「数学力」「ITを活用した問題解決能力」の3項目。例えば、「読解力」や「数学力」では、世界の気温変化が示された図の情報を分析するなど、文章や図表から情報を理解し、活用する力などを測るという。
-----------------引用おわり-----------------
 世界の水準がどうかというのはよく分からないが,もし過去に「世界のトップクラス」だった日本の生徒が,現在もその水準を保持しているなら立派なもの。しかしながら,日本の「大人」はもはや若いときの水準などとうに失っているかも知れない。もしそうであるならば,問題は「教育」ではなく,社会とか文化資本とか,そういうものにより目がいくことになろう。現在仕分けし倒されている「教育・科学技術・文化」が息を吹き返すチャンスかもしれない。ぜひぜひ大々的にやって欲しいものである。

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酔っぱらいにも罰則があるのか

 本日のニュースによると,酒によって乱暴な言動を吐いたため,現行犯逮捕された御仁がいるらしい。よくよくみると「酩酊者規制法」法律が昭和36年に制定されている。大体の概要はこんな感じ。
--------------------引用ここから--------------------
 この法律は、酒に酔っている者の行為を規制し、またその者を保護することによって、過度の飲酒が個人的・社会的に及ぼす害悪を防止することを目的としています。酩酊者が、公共の場所または乗り物で粗野・乱暴な言動をし公衆に迷惑をかけた場合は、拘留または科料に処せられることになっています。
--------------------引用ここまで--------------------
 私みたいな声の大きいのが高歌放吟していたら,乱暴というよりは「粗野」で,金沢中署のごつい人に連れて行かれるかも知れない。気をつけなくては。

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July 24, 2009

それぞれ見落としてはならない所がある(長文注意)

 巷は選挙の話題で(ちょっとだけ)盛り上がっているようだが、こちらは学期末でバタバタである。そんな中で、気になるニュースが飛び込んだ。民主党の教育に関するマニフェストである。
 今回取り上げたいポイントは次の2点。

・高校授業料の原則無償化
・大学における教員養成の6年化・1年間の教育実習

 前者はこの党が得意とする「一律~化」で、現在ほとんどの生徒が進学する高校を、事実上義務教育と同じ扱いにするというものである。個人的には反対で、教育に関する投資が可能な家庭には「応分の負担」をお願いするのが筋なのではないかと思う。また、これが実施されると、現在でもまだ存在する「中卒」で社会に出る若者にとっては新たな格差を生むことになってしまう。基本的に、支援を要する個人に対して手厚い支援を行うことが重要なのであって、この施策にはやはり同意しかねるのである。

 後者については、教員になるために医歯薬系と同程度の水準を保証しようとするものであるが、これについても突っ込みどころはある。
 まず第一にいえることは、これを実施することが可能な教育機関は「教育学部」中心になることである。多くの教員は教育学部出身者が多いのだが、実際には法学部や理学部、音楽学部や美術学部など「専門学部」出身の教員も少なくない。反対に高等学校の教員免許だけとると、教育学部よりこれらの出身者が重視されるくらいである。高校教員には「東大出」とか「京大卒」のような、一見教員とは無縁そうな大学出身者がみられることがあるが、これは大学で専門の課程と同時に「教職課程」をあわせて履修した学生が教員になっているのである。
 芸術や体育ではこの傾向は顕著で、演奏家やプロ選手と比べても遜色がない教員も多いのである)。
 これらの出身者は、もともと専門を活かした道に進もうとするその1つとして教員を選んだのであって、初めから教員だけを志望しているわけではない。ただ「どこかで」教員に目覚めて勉強し、きちんと(採用試験に受かった「ちゃんとした先生」である。もちろん弊害もまったくないわけではないが、これらの先生も彼らの特色を活かしたところがある。しかし、今後6年制教員養成が始まると、これらの経路から教員になれる可能性は大きく制限される。民主党の関係者がこの辺の事情をきちんと理解しているのか本当に疑問である(実際には学校教員経験者の議員も多いはずなのだけれど)。
 そして、教育実習を1年にするということによって、教員のみを希望する学生以外実習にはいけなくなることになる。それはそれで良いことではないかと思う人も多いだろうが、実際にはこれらの学生も採用試験に不採用になり、窮地に立たされる可能性があるのである。そのリスクのために、他の進路も探りながら教員を目指すということが出来ないなら、「賢い」学生はかなり教員から逃げてしまうのである。反対に、実習まで受けようという学生が全て教員になるとしたら、それはそれで問題だということに気づかないのであろうか。
 そもそも教員の質を向上させようという試みは昔からあって、大学院まで行って学んだ学生に「専修免許状」を与えて優遇しようとしたり、教職大学院を作ったりといろいろあるのである。それでもなお「6年制」にする前に、この実質的な「6年制」があまり機能していないかもしれないことを良く考えてみてもいいだろう。

 この施策についていえることは、「総論ではよさそうに見えるが、個別の事情を一つ一つ見ると、問題満載である」ということであろうか。だから私はどうしてもこの施策を支持できないのである。

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